勇壮で迫力のある”岩戸の舞”を演じ終えたみっちゃんの父ちゃんは舞台の中央に立ち、激しい演技の為か肩で大きく息をして呼吸を整えている。
タジカラオノミコトの面を付けた顔の顎からは汗が滴り落ちていた。
第二十四座”稲田姫命の舞”から第二十八座”須佐之男命の舞”までは、この神楽の第二のクライマックスであり、中でも古事記に出てくる神話”八俣の大蛇”
は”岩戸の舞”に継ぐものである。
”八俣の大蛇”
出雲の土地へとやって来た須佐之男命は、肥の河(島根県斐伊川)の上流にある鳥髪という所でアシナヅチとテナヅチの老夫婦に出会う。
二人は酷く泣き悲しんでいて須佐之男命が問いただすと、この老夫婦には八人の娘がいたが、北の土地から来る”八俣の大蛇”に毎年一人づつ食べられてしま
い、今年はただ一人残った”クシナダ姫”が大蛇の生け贄にされてしまうのが悲しくて泣いているのだ。
老夫婦は、須佐之男命に大蛇を退治して欲しいと懇願するのである。
”八俣の大蛇”は眼は火の玉の様に不気味に輝き、頭と尾が八っに分かれていて胴体の長さは八っの谷、八っの山を越えるほど大きな恐ろしい大蛇であると言
う。
そこで須佐之男命は、この大蛇に強い酒を飲ませて酔わせ、寝ている間に退治すると言う神話である。
ここでも”大蛇の舞”の前座として白の狩衣装束に手拭いで頬被りして烏帽子を被り”ひょっとこ”の面を付けた道化が二人出てくる。
子供たちにとっては道化が面白おかしく演じるので、”ひょっとこ”が出てくると舞台の周りに集まり舞台にかぶりついて見ている。
「とっちゃん、ひょっとこ始まったから前に行ってみんべよ!」
「でもみっちゃん、あんまり前に行って舞台にかぶりつかねぇほうがいいんじゃねぇけ!」
「あんまり前に行ってみっと、ひょっとこにつかまっかんなっ!」
登場する”ひょっとこ”の二人には酒が入っていて足元がふらついており、柱に攀じ登ってみたり、おどけた真似をしたりしてみんなを笑わせている。
しかし、子供たちにとって一番注意を要するのはこの”ひょっとこ”だった。
”ひょっとこ”が出る他の演目でも、近くで見ているといきなり抱きかかえられて舞台の上に引きずり込まれてしまう。
小さな子供などは足をばたつかせながら泣き出してしまう事もあった。
しかし、道化たちはそんな事にはお構いなし。たまに隅柱に捕まり損ねて舞台から転げ落ちてしまう”ひょっとこ”もいたようだ。
”ひょっとこ”は舞台の中央に張りぼてで出来た土器の酒壺を置いて大蛇が現れるのを待っている。
大蛇は紫地の装束にくすんだ黄の袴を穿き、龍の頭とも思える被り物を付けて出てきた。
ここの神楽に登場する”大蛇(おろち)”は、他の里神楽に見られるような”とぐろ”を巻いた大蛇ではなく紫地の衣装を羽織っているだけである。
しかし、一人演技としては蛇独特の動作を見事に表現し、十分見応えのある大蛇でもあった。
蛇がのたくる様にゆっくりとした足運びで左右を見渡しながら舞台の周りを周る大蛇は中央に置かれた酒壺へとやってくる。
その大蛇の出現に驚き慌て、二人で抱き合ってみたり、隅柱に抱きついて見せたりして逃げ惑う”ひょっとこ”の動作も面白かった。
「みっちゃん、あのひょっとこはひろちゃんとこの父ちゃんがやってんだよなっ!」
「あと一人は誰だんべ!」
「たかおちゃんとこの父ちゃんじゃねえかぁ!」
「そおけぇ~。」
太々の演目によって演技する人が分かるのである。
舞台の上では、男の小学生が”ひょっとこ”に捕まって舞台の上に引っ張り込まれた。
汚れてツギの当たった尻を晒しながら四つん這いになって舞台の上を逃げ回っている。
男の子は学帽を舞台の上に落としたらしく、舞台の下で「おれの帽子、とっとこれえっ!」と、じなっている。それを見て、見物人達はげらげらと笑いこけてい
る。
大蛇は壺に入った酒を飲み干し、横になって寝ている。”ひょっとこ”二人は持っている扇子を広げて、大蛇を扇いで見たり突いてみたりして大蛇の様子を窺っ
ている。
そして、いよいよシャグマの冠り物に青地の装束、白い襷を架け”降魔の剣”を手にした勇壮ないでたちで須佐之男命が登場する。
そして、荒れ狂う”八俣の大蛇”と須佐之男命が髪を振り乱しながら勇壮果敢な乱舞を繰り広げるのである。
八俣の大蛇は須佐之男命によって見事に退治されて切り刻まれ、その尾の中からあの有名な”草薙の剣”を授かる場面が演じられた。
そして、狐のお面を被り、鈴と榊を持った白狐と道化が演じる第三十二座”天狐の舞”、これは種蒔きに一匹の白狐が現れ、土を掘り返して種を食い荒らす白狐
を懲らしめようとする農夫に扮したひょっとこが白狐に馬鹿にされる様子を面白おかしく演じる。
やはり子供達には人気があり大人と一緒になって笑いこけていた。
「とっちゃん、あと少しで恵比寿、大黒が出てきて終わりだなぁ~。」
「そろそろ、何か買いにいくけぇ~。」
「まだ、いいんじゃねぇかぁ~。最後の餅撒きまで見っぺよ!」
「それから買いに行っても遅くねぇからよぉ~。」
「ほんじゃ、そおすっぺっ。」
舞台の上では第三十五座”恵比寿の舞”が始まった。
釣竿を担いだ恵比寿様とひょっとこ2人、そして八本の足のついた縫いぐるみの蛸が出てきた。
恵比寿様は舞台上から釣竿を見物人の方へ出し、張りぼての鯛やおひねり、品物などを見物人から付けてもらって釣り上げる真似をしている。
それに合わせてひょっとこ2人も面白おかしく鯛釣りの真似を演じていた。
そして、いよいよこの太々神楽の結びの舞。豊年満作、家内安全、四海安泰を祈願した第三十六座”大黒の舞”である。
「みっちゃん、最後の餅撒きだから前にいくべよ!」
「餅、何個ぐれぇ拾えっかな~。」
「5、6個ぐれぇは拾えんじゃねぇかぁ~。」
「正月以来の餅だかんなぁ~。なんとか拾わなくちゃ!」
舞台には大黒様のお面を付け、手には小槌、餅の入った鈴袋を背負い、そして、ひょっとこ2人が餅の入った俵を担いで出てきた。
見物人たちや世話人、そして出店の人たちも拝殿の前に集まってきた。
大黒様は舞台の四方をぐるっと回り、舞台の正面から見物人に向かって紅白の丸め餅を撒き始めた。
見物人は、我先にと撒いた餅にわっと群る。みんな拾うのに一生懸命である。
取り合いする者、泣き喚く幼い子供、大人も子供も我を忘れ、形振りも構わずに撒かれた餅に群っている。
ひょっとこ達は投げる真似をしてみたり、わざと遠くへ投げてしまったりしてひょうきんな振る舞いを演じている。
「とっちゃん、何個拾った。」
「5個、みっちゃんは!」
「おら~、8個だぁ。」
拾った餅は土で真っ黒になったものや下駄で踏んづけられたものまで混じっている。
私たちはそれを大事そうに両のポケットにしまい込んだ。
約六時間の余に及ぶ太々神楽も第三十六座全てを演じ終え、舞台の上ではお囃子方が楽屋へと引き上げて鎮守の杜は以前の静けさに戻っていた。
見終わった大人たちは帰り始めている。境内にはおでんや焼きそば、焼きイカなどの美味そうな匂いが漂っている。
そして、それらの出店には子供たちが群り最後の買い物をしている。
私もみっちゃんもその中の一人となり品定めに夢中であった。
「みっちゃん、なに買った!」
「おれ、べえごまとブッカキ飴!」
「とっちゃんは!」
「おら、べえごまだけ!」「これで、べえごまだいぶたまったかんな!」
「みっちゃん、あと買うものねえんだんびゃ~、そろそろ帰えっぺよ!」
境内では、子供たちが焼きイカや焼きそばを食べたり、買ったおもちゃを振り回したりしながらまだ騒いでいる。
私とみっちゃんは、朝登って来た参道を下り始めた。
「とっちゃん、ブッカキ飴、一つやっから!」
みっちゃんは新聞紙で作った小さな袋からブッカキ飴を一つ取り出した。
「わりぃんじゃねぇけぇ~。」
と言いながら、私はブッカキ飴を一つ口の中に放り込んだ。
そして、まだ賑わいの覚めやらぬ境内からは、子供の吹く笛ふうせんの”ブァオ~”という低い音が鎮守の杜にこだましていた。