春一番(春)

雑木林に入ると、透き通った空をバックに木々の梢の先っぽが赤みを帯び
早春の明るい日差しを浴びて眩しく輝いている。
近寄って細い梢の先を手に取ると、冬の間固く閉ざされていた芽に、いくらか膨らみが感じられる。
しかし、梢を渡る風に冬の冷たさを感じ、コ-トの襟を立てる。
「春は名のみの、風の寒さや。」
まさに、”早春賦”の冒頭の詩そのものである。
雑木林の奥に見える黒々とした杉林が、時折突風に音を立てて杉林全体が揺れ動いている。
「ゴォ-ッ。」
私の耳の奥で、何度となく揺れ動きながら鳴っている。

ume1.jpg

「かぁちゃん、ただいま!」
土間の框に、カバンをぶん投げて
「ああ~、腹減った。なにか、ないのけぇ~!」
云うより先に母が。
「買い物に行って来るから、風呂とエントツ掃除やっておけ。」
そう云いながら、母は風呂敷を提げて出かけて行ってしまった。
私は”蝿帳”を開き、その中にある”硬くなった”乾燥芋”を頬張った。
「さぁて、風呂でも汲むか。」
今のように水道など無いから、手こぎポンプで風呂水を入れる訳である。
ポンプと風呂桶の間に”ブリキ”の筒を通し、乾燥芋をかじりながら水を汲み始めた。
毎日の事だから、何回ポンプを扱げば一杯になるか分かる訳である。
それが済むと、かまどと風呂のエントツ掃除である。
今でも、たまに見かけるがスレ-トで出来た白いエントツで、屋根から二本突き抜けている。
その先端には、円錐形の笠がありその下に小さい滑車が付いている。
そこには、鎖で繋がれた周りに針金の輪の付いた掃除用の錘が付けられている。
それをエントツの中に入れて上下させ、エントツの中に付着した”すす”を落とすわけである。
“すす”が溜まっているときなどは、夜、赤い火の粉が闇に舞っていて不気味に感じた。
しかし、茅葺屋根の家でよく火事にならなかったと不思議に思う。
そのような現象が起きると、エントツ掃除が待っているのである。
「がらがら、がら。がらがら、がら。」
と何べんもやるのである。そんな訳だから手と顔は”すす”で真っ黒である。
今思い出したが、確か”鎖”以前は”しゅろ”で作った”しゅろ縄”であったと思う。
たまに切れて落ちてしまった覚えがある。
まぁ、そんなことはどうでもいい事である。
しかし、エントツ掃除をしながら見た、あの夕暮れ時に紺碧の空に光っていた一番星は今よりも
ず~っと綺麗だった思いがする。
それから風呂焚きである。
まず、風呂がまの中に枯れ切った杉の葉っぱを入れ、その上に細い木の枝を敷く。
徳用マッチで杉っ葉に火をつける。「ぱ~っ」と火が燃え移る、細い枝にも燃え広がったら徐々
に大きな木に変えていき燃え盛ったところで、父が割っておいた雑木の薪をくべていく。
火が消えそうなときは、吹き竹で火勢をつけてやる。
たまに母の帰りが遅いときなどは、ご飯を炊いたときもあった。
鋳物で出来たご飯釜に米を入れ、とぎ汁が透明になるまで手で米を揉むように磨ぐ。
水加減は米の上に手を広げ手の”くるぶし”まで水を入れ釜をかまどに掛けて重い木のふたをする。
そして火を入れる。
その火加減が一番難しい。
だんだんと火勢を上げていき、蓋と釜の間から湯気が噴出してきたらかまどの中の”おき”(火)
を取り出し蒸らしてやるのである。
“始めちょろちょろなかぱっぱ赤子泣いても蓋とるな。”の要領である。
このようにすれば美味しいご飯が出来るわけである。

雑木林の枯れた木の根っこに腰をおろし、そんなことを思い出しながら奥にある黒々とした杉
木立を見ていた。
時折、「ぴゅ~」と吹く風に乗って、昔聞いた事があるような小学校の校庭で遊ぶ子らの黄色い
歓声がざわめきとなってかすかに聞こえてくる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です