「日光北街道」
日光北街道は、今市(現日光市)から轟、芹沼、大渡、船生、玉生、高内(幸岡)、矢板、沢、大田原へと抜ける街道で、玉生の宿には「芭蕉一宿の跡」があり、芭蕉が宿泊した名主の屋敷跡には古い庭園が残っている。
船生の宿から推津を北に入り100m程行くと左側に小さな駐車場があり、その角に芭蕉通りと彫られたの石碑が建っている。この石碑から西に向かう道は、かつて芭蕉達がが歩いた道なのだろうか。
駐車場の北側には広場があり、そこにも芭蕉通りと彫られたの石碑が建っている。
そして、その奥にある社の森は日本一の力もち神事(餅つき大会)で有名な
岩戸別神社がある。
玉生を過ぎ、荒川を渡って暫く行くと矢板市に入り、喜佐見入り口のバス停”立場”がある。そこからすこし行った右側に倉掛峠への古道がある。
写真は峠と新道の合流点にある道標で、”右日光 従是八里 倉掛村”と彫り込まれている。
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「高内宿」
倉掛の火の見櫓の脇を通って国道461号線に出、矢板方面に向かって行くと幸岡の十字路にでる。
ここからすこし行って、左の旧道に入り坂を登ると高内宿に出る。
「曾良随行日記」には、鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シとあり、往時の宿場をを窺い知る小さな家並みがある。
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「下長井芭蕉句碑」
高内宿を出て、東北自動車道路の下をくぐり暫く行って細い道を北に左折する。剣神社の手前を左折すると田んぼの中に芭蕉の句碑が高原山を背景に建っている。
”そのま々に月もたのまじ伊吹山”
塩谷院秀賢が、ここから眺める高原山が美しく、伊吹山のように秀麗であるということで文政3年(1820)に建てたものである。
「石の道標」
国道461号線を矢板市内へと向かい、中川を渡ってすこし行くと関谷、塩原方面に行く広い農免道路を左折する。左側に矢板市のライスセンターがあり、その角に寛政3年に建てられた道しるべがある。
”右日光 左江戸”と彫られており会津中街道と日光北街道がこの辺で交差していたことを記している。
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矢板市内を通る日光北街道は、JR矢板駅の北にあるツツジの名所でもある長峰公園の脇を通り、北側の住宅団地にある”日光北街道”の案内板から右に折れ、墓地の脇を抜け、原木市場の脇を通って国道4号線へと出る。
ここから東へ向かうと、”曾良随行日記”に記してある沢宿がある。
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