芭蕉一行は養源院を訪れた後、日光山内を参詣した。
”あらたふと青葉若葉の日の光”の句は「俳諧書留」に
”あらたふと木の下暗も日の光”
元禄九年の「初蝉」に
”たふとさや青葉若葉の日の光”
正徳三年の舎羅撰に
”あらたふと若葉青葉の日の光”
とあり奥の細道は元禄七年頃まで推敲が重ねられて現在に至った。
日光東照宮は、元和3年(1617)徳川家康公を奉祀し創建されました神社であります。二代将軍秀忠公により造営された創建当初の社殿は、20年後の寛永13年(1636)三代将軍家光公により建て替えられ、今日の絢爛豪華な社殿群となりました。これを、「寛永の大造替」と言います。
現在の国指定文化財(国宝、重文)の建造物は、その時建立された木殿や陽明門など35棟を中心にその前後に建立されたものや、大名の奉納による五重塔や石鳥居など55棟になります。(指定では国宝8、重文34)。これらの建造物は、何れも江戸初期寛永文化の優れた絵師、名工達、技術集団によって生み出された我が国を代表する宗教建築であります。
平成11年(1999)には、人類のかけがえのない宝として、ユネスコの世界遺産条約に基づき『世界遺産』に登録されました。
「日光東照宮」
ライトアップ
闇夜に浮かぶ東照宮の煌びやかさは幽玄の世界へと誘う。
2006年のライトアップは11月17・18日に行われました。
写真は2005年に撮ったものです。
「山菅の橋」
日光市街鉢石町の西大谷川に架す。一名を神橋と称し、長さ十四間、幅三間、石柱を河中の巨岩に建てて橋を支え、欄干、橋板共に朱塗りにして勾欄、儀宝珠には鍍金の金具を施す。伝え言う。神護景雲元年勝道上人跋渉してこの川に来たり、激流盤渦して渡るべからざるを見、心を凝らして仏陀を祈りしに、深砂大王対岸に出現し、青赤の二蛇を放ちて橋と為し、其背に山菅を生ぜしむ。上人乃ち渡りて西岸に達するを得たり。故に後世山菅の蛇橋と言うと。大同年間初めて板橋を架し、元和中東照宮鎮座の後ち今の橋を新造す。然れども神橋として人の渡るを許さず、之に降りて仮橋を設け人馬の通行に便ず。此の橋古より名所として、萬葉集に人麿の和歌あり。「ぬは玉の黒かみ山のやま菅にこさめ降りしきますますそ思ふ」其の他詠歌多し。
(大日本名蹟図誌より)
神橋之図(一)神橋之図(二)日光山内之図(一)日光山内之図(二) (日光山志より)
(日光山志)
植田孟縉著/渡辺華山他画
文政8年(1825)序、天保10(1839)年に刊行された日光山の名勝誌を影印・複製する。開祖勝道上人の伝記等、東照宮以前の歴史も含め、東照宮の社殿関係や祭礼、美術工芸分野に関する記述、門前町の描写など、多岐にわたって日光の名所・風物を案内する。挿画には渡辺華山・葛飾北斎をはじめとする多数の著名画家が筆をふるっている。