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間々田八幡宮

間々田は江戸から日光まで日光街道の中間地点で、芭蕉一行が栃木県に入って最初に泊まった所でもある。
間々田八幡宮は間々田駅の北方間々田中学校の南側にある。
この神社には古くから藁や縄、竹などで作った龍頭蛇体を担いで練り歩く「蛇祭り」という奇祭が伝えられており旧暦の四月八日に行われる。
その昔、この地を襲った大飢饉により”雨乞い”と”厄病除け”を願って始められたという。

間々田八幡宮

間々田八幡宮の周りは豊かな自然に恵まれ、市民の憩いの場所でもある。
私が訪れたときは丁度アジサイの時期で綺麗な七変化を楽しむことが出来た。
また、ここには芭蕉の句碑が建てられている。

間々田八幡宮解説

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飯塚にて

飯塚の宿より狭い道を左に入ると小宅に抜ける橋がある。
思川に架かるこの橋は乗用車が通れるくらいの幅の狭い仮橋である。

飯塚にて

曾良随行日記に 「川(小クラ川)原ヲ通リ川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘ」 とある。
飯塚地内の思川の堤より北西をみると遠くに日光連山が見渡せる。
その下方に室の八島のある大神(おおみや)神社の森が見える。
芭蕉はここより更に上流から川を渡り、河川敷を歩きながら総社河岸へと向かったのではないだろうか。

「野木」  間々田へ二里
宿を離れて松原あり。夫より松原新田、又松原あり。此辺北は宇都宮領なり。友沼又松原ありて、乙女右に仏光寺(新義真言宗)此寺の向かひに道あり。十町ほどして乙女河岸といへる船つきあり。此辺の諸物、此所より江戸へ出す。人舟はなしと。

「間々田」 小山へ壱り廿四丁
此所下総・下野の堺にて、間々田は下野分なり。千駄塚、粟の宮、則あわの宮と言へる小社あり。二軒茶屋、此辺宇都宮領・結城領・久世領入会なり。

「小山」 芋から新田へ壱里十二町
小山の町長し。家造りよし。遊女多し。町の入口右かた小山判官以来代々小山氏居城の跡有り。己れ此所を通る時、馬を借り乗りたれば、馬子に命じ、其際まで馬引寄せ、馬上ながら見物せり。廻りにわずかなる小溝有るて、竹やぶあり。小高き所なり。先を急ぐものから、よくも見巡らず。(略)
高田山仏高寺(専修寺カ)道あり。結城も同じ。宿続きに稲葉村。夫より松並木有て喜沢、此辺御代官支配・壬生領入合。右に奥州道あり。(略)

(日光巡拝図誌より)

※ 日光巡拝図誌
文化十五年(一八一八)四月十二日江戸日本橋を出発した長喬らが日光街道を通って十六日から十九日まで名所旧跡を見学した記録