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「勝道上人」

日光を開山した勝道上人は20歳の時、出流山満願寺(栃木市出流町)で千手観音を念じながら3年間修行し、大剣ヶ峰(横根山鹿沼市)で3年間修行して下山し、761年に下野薬師寺で僧侶の資格を得て厳朝と名乗りその後勝道と名前を改めた。
5年後大剣ヶ峰に戻り、この北西にある深山巴の宿(鹿沼市草九)で庵をむすんで修行した。
その後、観音信仰の霊場として知られた補陀落山(日光市男体山)が信仰の目的であったため、巴の宿を離れて日光へと向かった。

四本龍寺
大谷川の南岸にたどり着いた勝道上人は、激流に阻まれて川を渡れずにいるとそこに深沙王が現れて橋となり無事大谷川の激流を渡ることが出来たと言う。
この時に橋となった大蛇の背に山菅が生えた事から山菅の橋と謂われる。
大谷川を渡った勝道一行はこの地に草庵をむすんで修行し、四本龍寺を建てて千手観音を安置した。
四本龍寺は日光最古の寺であり輪王寺のおこりでもある。

四本龍寺
勝道上人は四本龍寺を拠点に767年4月補陀落山(日光市男体山)の山頂を目指したが雪と道の険しさ、そして天候不順により失敗してしまった。
14年後の781年4月、再び登頂を試みたが登頂は出来なかった。
782年3月、経典と仏画を背負い、「もし山頂をきわめることが出来なければ、仏道には入らない」という悲壮な覚悟で弟子達と山頂を目指し、ついに山頂をきわめた。
784年3月には4度目の登頂を行い、大湖(中禅寺湖)の下りて湖を小舟で周り、その南岸に二荒権現を祀る神宮寺としてのちの中禅寺を建てた。
そして、ここに4年ほど住んで修行を続けたという。
中禅寺の本尊は、平安時代後半に造られた千手観音立像で「立木観音」とも呼ばれる。

紫雲石四本龍寺・紫雲石
左画像の右下にある石が紫雲石です。

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勝道上人は735年、芳賀郡高岡郷(栃木県真岡市南高岡)に生まれたといい、幼名を藤糸丸、父は下野国府の役人であったが後に都賀郡城山(下都賀郡都賀町木)に移り住み、ここで育ったという。
日光開山のあと、都賀郡城山に華厳寺を建てて民衆の教化につとめたと言う。
勝道上人は817年3月、四本龍寺で83歳の生涯を閉じたといい、遺骸は日光市山内の開山堂の場所で荼毘にふされ、その遺骨は開山堂裏の廟塔、中禅寺湖の上野島と菖蒲が浜の北地獄沢の瑠璃ヶ壺という岩窟の三箇所に分骨埋葬されたという。
(勝道上人の生誕と没年に関しては未だ不明な点が多いという。)