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日光連山
日光を出立した芭蕉一行は、大渡から鬼怒川を渡り船生から玉生へと向かう。

玉生宿では曾良随行日記に
「同晩玉入(玉生)泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。」
とあるように着いた宿があまりにも悪かっため芭蕉は無理をいって名主の家に泊めてもらった。
この名主は玉生家であり、翌朝はこの時代では大変なご馳走である”とろろ”を召し上がったそうである。
玉生宿にある玉生家の屋敷跡は旧尾形医院で今は荒れてしまっているが山際の古い庭園跡は往時を偲ばせてくれる。

(船生川村付近より日光連山を望む)

道標日光連山
左の写真は旧街道に建つ芭蕉通りの道標。
その奥に見える森が岩戸別神社。


岩戸別神社では日本一の力もち神事(餅つき大会)が行われます。



(船生付近より日光連山を望む)

「奥州古道」

芭蕉たちは裏見の瀧、憾満ヶ淵を見てから玉生へと向かうのであるが、「曾良随行日記」に五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左へノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村ヘカヽリ、大渡リト云馬次ニ至ル。 
とあるように日光市宝殿の志渡淵川に掛かる筋違橋から北に向かって大谷川を渡り、今の所野から瀬尾に抜け倉ケ崎・上川室そして下川室から大渡へと抜けたという。
この大谷川を渡った所から瀬尾へ抜ける道は奥州古道と呼ばれ、日光市の稲荷川橋より大谷川に沿って瀬尾まで続いていたという。

「佐貫観音」

船生の宿より南へ下ると鬼怒川にでる。その橋の手前をを右折すると剥き出しの大きな岩山があり、下野三十三観音札所の第五番札所・佐貫観音がある。
岩山は高さが64メートルで巨岩の中央部に大日如来座像が彫られている。 像の高さは18.2メートル、顔の長さは3メートルあるが侵食の為かその輪郭を確認することは困難である。言い伝えによると弘法大師が一夜にて掘り込んだと言われる
像の右上には小洞窟があり奥の院・大慈窟と呼ばれ弘法大師の如意輪などの宝物が納められているという。
巨岩の下には洞窟があり石仏が安置された白龍窟堂が建っている。
また、佐貫には数件の川魚料理店や鮎のヤナがあり鮎つりの名所でもある。
ここから見る日光連山も素晴らしい。

私がモノクロで撮った佐貫観音の写真です。