ほたる(夏)

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窓を開けると何処からか風にのって麦の匂いがしてくる。

麦を刈り取ったばかりの懐かしい匂い。

青臭いような、芳ばしいような昔と変わらぬ匂いである。

昔、暑い日に母と二人で汗を流しながら刈り取っていたあの麦の匂いと同じである。

なぜか、母の汗の匂いと麦の匂いがだぶついてしまう。

母は亡くなってしまったが、あの頃が懐かしく思える。

夜になると、家裏の板を渡した洗い場の草むらには宝石を撒き散らしたようにホタルが飛び交う。

ネオンサインのように点滅を繰り返し今思うと非常に幻想的な光景であった。

うちわでホタルをかき集めては(そのくらい多くいた)、麦わらを編んで作ったホタル籠に入れた。

家の中の蚊帳の中に放したりしては母に叱られた。

電球を消し、暗闇の中で見たあのはかない光の点滅の光景が今も瞼の裏に焼き付いている。

今では何処に行ってもあの時のような光景には出会えないだろう。

今は遠き昔の想い出である。

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百日紅(夏)

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百日紅(サルスベリ)の真っ赤な色彩から甘い魅惑的な馨しさに誘われて、蜜蜂が羽音を発しながら花に纏わりついている。
その甘い香りに誘われて、私も百日紅の花に顔を近づけてみる。

甘い香りは、真夏のギラギラした日差しの暑さを、一瞬忘れさせてくれる。
遠い昔、裸足で登った百日紅の滑々とした木肌の感触が思い出され、木の上で嗅いだ花の甘い馨しさは昔と変っていない。

百日紅の奥に続くケヤキ並木は、紅の色とは対照的に濃い緑の葉で覆われている。
その下に置いてあるベンチには、涼しげな木陰を作っている。

ケヤキ並木の木陰からはみ出たベンチには、夏の強い日ざしが容赦なく照り付けていた。
その木陰に腰を掛けながら、額に吹き出た汗を拭う。

麦藁帽子を被った小さな女の子と若い夫婦が、目の前を通り過ぎて行った。
その後からは、百日紅で嗅いだような微かな甘い香りが風に揺れていた。

"みどり濃き けやきの影の うつろいて 人まちがおの ベンチがひとつ"
(詠み人  麗さん。こぶし町在住の方です)

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六月の風(夏)

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初夏の高原を覆っていた乳白色の霧のベ-ルが息を吹き掛けたかのようにゆっくりと透明度を増してゆく。
山の稜線の木々が、上から下へと乳白色・淡い緑、そして濃い緑へと自然のグラデ-ションを作っていく。

「風の仕業」

霧に浮かび上がる一本の白樺。
梢では求愛するかのように、透き通った声で野鳥が囀り合っている。

霧がゆっくりと流れている。

私の目の前にあるレンゲツツジの鮮やかな赤が乳白色に色あせてくる。
そしてダケカンバの間から聞こえていた渓のせせらぎまでも打ち消すように霧のベ-ルは覆っていった。

「風の仕業」

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小さい秋(秋)

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久しぶりに古里の雑木林に入ってみた。
小さいころ母と一緒に木の葉さらいをした場所だ。

夏草をかき分けながら奥へと入ってみる。
今は下草が生い茂り昔の様な面影は一つもなかった。

ただ、昔と同じように夏草の強い匂いが風にそよいでいた。
葉の隙間から晩夏の強い日差しがスポットライトの様に私に光を浴びせる。

奥のほうに、見覚えのある山桜の大木が見えてきた。
夏とはいえ林の中は薄暗い。

しかし、その大木の周りだけが何故か輝いて見える。
まるで光のシャワ-を浴びているようだ。

夏草をかき分け近づいていくと昔の記憶が一つ一つ蘇ってくる。
母と木の葉さらいをした事、友達と小鳥を捕った琴などが次から次へと私の頭の中を過っていく。

足元の夏草の下には古い切り株が多数残っていた。
切り株には、夏草に邪魔されながらもひっそりと逞しく生きている。

今年生えたばかりのクヌギが数本あった。
無事大きく成れるのだろうか。

私は、山桜に近寄り肌に手を当ててみた。
何故か昔感じたような温もりがあった。

今度は、淡いピンクの花が咲く頃会いに来て見よう。
戻りながら私に言い聞かせ、山桜を振り返る。

私の肩にひとひらの桜の葉が落ちてきた。
その葉は黄色く色づいていた。

「もうすぐ秋か。」
林の中は昔のままに静まり返っていた。

母の死(秋)

「プルルルル、プルルル、....」

朝五時、突然の電話。
それは予期していた内容だった。
3日前から母の様態が悪く、夜も交代で看病していた。

昨日から姉と交代で妻が看病に当たっていた。
夜はほとんど寝ずに付き添っていた。
9月24日の朝、今まで安定していた母の病状が、突然急変した。

私は妻からの電話で急いで病院に駆けつけた。
病院に着くまでの10分間、私の脳裏には母の思い出が駆けめぐっていた。
病室の中では医師たちが慌ただしく手当していた。

妻は母のそばで泣き崩れていた。
私は母のそばに駆け寄り大声で叫んだ。
「かぁちゃん、がんばれよ!」
「もうすこしがんばってくれ!」涙が後から後から溢れてくる。

そのうち姉たちも駆けつけ、母のそばで泣き崩れていた。
私は医師たちの懸命の手当を否定するかのように母の耳元で囁いた。
「かあちゃん、みんな来てくれたんだよ。よく頑張ったね。」
「もう、苦しむことなく、とうちゃんの元で安らかになってね。」

私は母の手を握りしめ、母の髪を撫でながら、母の苦しそうな表情を見守っていた。
母も安心したかのように、次第に心電図の波形も平らになっていった。
そして、穏やかに眠るように息をひきとった。

「ご臨終です。」
「6時33分でした。」
医師の言葉をよそに、小さい頃のいろいろな思い出が、走馬燈のように私の脳裏を駆け抜けていった。

小学生の頃、雪の降る夜、熱を出した私をおぶって、雪道を走って行った母。
私たちを学校にやるために、朝早くから夜遅くまで仕事に明け暮れていた母。
いつも、父の陰で好きな事もせずに、私達を見守ってきてくれた母。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

想い出は尽きない。
気丈で、しかも人一倍思いやりのあった母。
その母はもういない。

たぶん親爺の元で、又喧嘩しながらも親爺を労っているのだろう。
毎朝、母の位牌に手を合わせながら、般若心経を懸命に口ずさむ。

「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。般若心経。」

もみじの想い出(秋)

雑木林に入ると、幼い頃の遠い昔、母に連れられて雑木山に木の葉をさらいに行った想い出が木の葉の舞う音とともに鮮明に甦ってくる。

山の斜面の枯れ葉を、母が熊手でかき集める"ザザ-、ザザ-ッ"という音と子供が落ち葉の上で遊ぶ音が、時折私を遠い昔に戻してくれる。

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集めた"木の葉"をかごに詰め、背負って山裾まで運びリヤカ-に載せる。
西日が、うるしの葉っぱを真っ赤に染める頃、母の曳くリヤカ-を押しながら晩秋の山道を帰った。

晩秋になると、雑木林にくるたびに、"もみじ"や"里の秋"のうたを口ずさみながら、幼い頃の遠い昔を思い出す。

"秋の夕日に照る山もみじ........."


"秋うるし 真っ赤に燃える 野良帰り"
"地下足袋を 脱ぐ母の背に 落葉雨"

(詠み人・樋山)

お正月(冬)

元旦。
世紀末の新しい年明け。
また、母の百ヶ日法要の日でもあった。

いつもの年なら、朝から家族で新年を祝い神社に初詣るのだが。
今年は喪中なので祝い事を控え、外の賑わいをよそに何もせずにただ"ボォ-ッ"として炬燵の中で酒ばかり飲んでいた。

七草も過ぎ今日は十日である。朝から何もすることがなくしかたなく部屋の掃除をした。
一段落して、炬燵に入りコ-ヒ-を飲みながら"ボヶ-ッ"として外を見る。
庭の白モクレンの梢には綿毛を被った蕾が大きく膨らみ始めた。

その下では小学生が数人はしゃぎながら遊んでいる。
多分お年玉で何を買ったのかを話しているのだろう。
その光景を見ながら、幼い頃のお正月を思い出す。

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「みかん何個もらえるべ!」
「三個ぐれえじゃねえか!」
「ほだんべなぁ、そのくれぇだんべぇ。楽しみだな!」

登校日、学校へ行って年の初めを歌い、正月のお祝いに"みかん"をもらってくるのである。
その当時は"みかん"がかなり高価であるため、めったに口には出来なかった。
今の様に段ボ-ル箱詰めではなく、杉板の化粧箱に品良く収められていた。

その"みかん"を家まで大事に持って帰り分け合って食べた、今ほど甘くなかったような気憶がする。
冬休みが終わり、二月中旬になると待ちに待った本当のお正月がやって来た。
旧の正月である。(陰暦)二日前頃から正月の準備で忙しく、村中があわただしくなる。

父は門飾り、これは木戸に杭を打ち松と竹を縄で縛って両側に飾り、また"しめ飾り"は家々によってそこの主が藁を編んで作り、玄関と神棚に飾りつけた。
午後になると、家族総出で餅つきである。

母は"へっつい"(かまど)でもち米を蒸かし、父が欅作りの臼でつきあげた。その頃は二斗ぐらいついた。
臼に入れたばかりの蒸かしたての"アッアッ"のもち米は一番うまかった。父によく叱られた。
つきあがるたびに、母と姉たちがお供え餅やのし餅にしていく。

夕方になると、最後についた餅をきな粉餅、大根おろし餅にし乾麺を茹でてそれに鰹節と醤油をかけただけの"あっあっ"の"にゅうめん"食べた。
元日、父と母は朝早く起きて正月祝いの用意である。

おぞう煮、キンピラ、煮つけ、"さがんぼ"の煮こごりで、今のおせち料理には程遠かった。
しかし当時としては大変なご馳走であった。何しろ正月にしか食べられなかったからである。
父は門松にぞう煮を供え、神棚にも酒を供えて拍手を打ち新年の挨拶をしていた。

だだそれだけの正月であった。

今の様に豪華なおせち料理を食べるわけでもなし、お年玉を貰うわけでもなかった。
かなりゆっくりと時間が過ぎて行ったように思える。そうでなければその頃の出来事をひとつ、ひとつ覚えていなかったのではないだろうか。

もう、おぼろげになってしまったが年末になると思い出すことがある。
小学生であるから学習雑誌を取っていた。その中に馬場のぼる先生の書いた「たらふくまんま」と云う漫画(たぶん?)があった。
筋書きはハッキリ覚えていないが、主人公の「たらふくまんま」が山から出てきて良いことをしたお礼に腹いっぱいのご馳走を食べさせてもらう筋書きだったと思う。

なぜかしらいつもこの時期に思い出すのである。狭い炬燵にねっころばって餅を食いながらその漫画を見ている光景である。
多分その当時は食べるものも少なかったからであろう。


冷めたコ-ヒ-を手にしながら外に目をやる。
北風が「ヒュ-」と日溜りの落ち葉を巻き上げて去っていった。

雪(冬)

朝5時、外はまだ暗い。
始発電車の音がいつもと違うのに気付く。

「雪かな。・・・・・・・・」
なんとなく、遠くで聞こえるような、透き通った響きである。
「雪かもしれない。・・・・」
降る雪に音が吸収されてしまうからである。

私は寝床の中で"シ-ン"と静まり返った外の気配の中に雪の音を聞き取ろうとしている。
「たぶん雪だろう。・・・・」
温い寝床から手を伸ばし、「そ~っ」と雨戸を細めに開けてみる。
「やはり雪か。・・・・・・」

漆黒の世界から舞い降りる雪は、差し込む仄かな灯りに触れると大きな雪片となって
はらはらと落ちて来ては、銀色の絨毯に吸い込まれて行く。

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「ひゅ~っ、ひゅ~っ」
横殴りの風と雪に、田んぼの土手の枯れすすきが寒そうに鳴いていた。

スズメ達は、風に向かって飛び交いながら、雪に半分埋もれた枯れススキの中へ潜り込んで風を避け、寒そうに身を寄せ震えている。
低く垂れこめた鉛色の空からは容赦なく雪が降り注いで来た。

納屋の中では、手拭いで頬被りをした父が薪を割っている。
母はその薪を竈にくべながら湯を沸かしている。

雪を被った雑木林が、うっすらと湯気の向こうに見える。
私はその傍で、納屋の軒下に舞い落ちてくる雪が土間との境目に作った"白から黒へのグラデ-ション"を"じ~っ"と見ている。

時折。
「どどぉ~、どどど・どぉ~っ」と
急勾配の茅葺屋根に積もった雪が、重さに耐え切れずに落ちてゆく。


そんな昔の光景が、寝床の私の脳裏をかすめていく。
  "初雪や 遠き汽笛を 含みおり"         詠み人 樋山

夕暮れ(冬)

冬の雑木林の夕暮れは、とても寂しい。
薄暗い雑木林の中は、なにもかもが眠りにつく準備をするかの様に沈黙し、凍った様に静まり返っている。
まるで時間が止まったようだ。

耳を澄ましてみると、"カサッ、カサッ"と小さな音が遠くで聞こえる。
「何の音だろう...!」

林の中の雑木の大木の黒いシルエットが、マントを羽織った怪人のように見える。
今いる自分が、マントの中の暗闇へ吸い込まれていくようだ。
夕暮れの雑木林の中の闇は、殺気さえ感じられる。

どんよりとした鉛色の西空に、くすんだ色の夕焼け。
カラスが家路を急ぐかのように、寂しく鳴きながら空を過ぎっていく。
そんな寂しい冬枯れの雑木林。

太々神楽(その三) (春)

勇壮で迫力のある"岩戸の舞"を演じ終えたみっちゃんの父ちゃんは舞台の中央に立ち、激しい演技の為か肩で大きく息をして呼吸を整えている。
タジカラオノミコトの面を付けた顔の顎からは汗が滴り落ちていた。
第二十四座"稲田姫命の舞"から第二十八座"須佐之男命の舞"までは、この神楽の第二のクライマックスであり、中でも古事記に出てくる神話"八俣の大蛇" は"岩戸の舞"に継ぐものである。

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"八俣の大蛇"
出雲の土地へとやって来た須佐之男命は、肥の河(島根県斐伊川)の上流にある鳥髪という所でアシナヅチとテナヅチの老夫婦に出会う。
二人は酷く泣き悲しんでいて須佐之男命が問いただすと、この老夫婦には八人の娘がいたが、北の土地から来る"八俣の大蛇"に毎年一人づつ食べられてしま い、今年はただ一人残った"クシナダ姫"が大蛇の生け贄にされてしまうのが悲しくて泣いているのだ。

老夫婦は、須佐之男命に大蛇を退治して欲しいと懇願するのである。
"八俣の大蛇"は眼は火の玉の様に不気味に輝き、頭と尾が八っに分かれていて胴体の長さは八っの谷、八っの山を越えるほど大きな恐ろしい大蛇であると言 う。
そこで須佐之男命は、この大蛇に強い酒を飲ませて酔わせ、寝ている間に退治すると言う神話である。

ここでも"大蛇の舞"の前座として白の狩衣装束に手拭いで頬被りして烏帽子を被り"ひょっとこ"の面を付けた道化が二人出てくる。
子供たちにとっては道化が面白おかしく演じるので、"ひょっとこ"が出てくると舞台の周りに集まり舞台にかぶりついて見ている。

「とっちゃん、ひょっとこ始まったから前に行ってみんべよ!」
「でもみっちゃん、あんまり前に行って舞台にかぶりつかねぇほうがいいんじゃねぇけ!」
「あんまり前に行ってみっと、ひょっとこにつかまっかんなっ!」
登場する"ひょっとこ"の二人には酒が入っていて足元がふらついており、柱に攀じ登ってみたり、おどけた真似をしたりしてみんなを笑わせている。

しかし、子供たちにとって一番注意を要するのはこの"ひょっとこ"だった。
"ひょっとこ"が出る他の演目でも、近くで見ているといきなり抱きかかえられて舞台の上に引きずり込まれてしまう。
小さな子供などは足をばたつかせながら泣き出してしまう事もあった。
しかし、道化たちはそんな事にはお構いなし。たまに隅柱に捕まり損ねて舞台から転げ落ちてしまう"ひょっとこ"もいたようだ。
"ひょっとこ"は舞台の中央に張りぼてで出来た土器の酒壺を置いて大蛇が現れるのを待っている。

大蛇は紫地の装束にくすんだ黄の袴を穿き、龍の頭とも思える被り物を付けて出てきた。
ここの神楽に登場する"大蛇(おろち)"は、他の里神楽に見られるような"とぐろ"を巻いた大蛇ではなく紫地の衣装を羽織っているだけである。
しかし、一人演技としては蛇独特の動作を見事に表現し、十分見応えのある大蛇でもあった。
蛇がのたくる様にゆっくりとした足運びで左右を見渡しながら舞台の周りを周る大蛇は中央に置かれた酒壺へとやってくる。

その大蛇の出現に驚き慌て、二人で抱き合ってみたり、隅柱に抱きついて見せたりして逃げ惑う"ひょっとこ"の動作も面白かった。
「みっちゃん、あのひょっとこはひろちゃんとこの父ちゃんがやってんだよなっ!」
「あと一人は誰だんべ!」
「たかおちゃんとこの父ちゃんじゃねえかぁ!」
「そおけぇ~。」
太々の演目によって演技する人が分かるのである。

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舞台の上では、男の小学生が"ひょっとこ"に捕まって舞台の上に引っ張り込まれた。
汚れてツギの当たった尻を晒しながら四つん這いになって舞台の上を逃げ回っている。
男の子は学帽を舞台の上に落としたらしく、舞台の下で「おれの帽子、とっとこれえっ!」と、じなっている。それを見て、見物人達はげらげらと笑いこけてい る。
大蛇は壺に入った酒を飲み干し、横になって寝ている。"ひょっとこ"二人は持っている扇子を広げて、大蛇を扇いで見たり突いてみたりして大蛇の様子を窺っ ている。

そして、いよいよシャグマの冠り物に青地の装束、白い襷を架け"降魔の剣"を手にした勇壮ないでたちで須佐之男命が登場する。
そして、荒れ狂う"八俣の大蛇"と須佐之男命が髪を振り乱しながら勇壮果敢な乱舞を繰り広げるのである。
八俣の大蛇は須佐之男命によって見事に退治されて切り刻まれ、その尾の中からあの有名な"草薙の剣"を授かる場面が演じられた。

そして、狐のお面を被り、鈴と榊を持った白狐と道化が演じる第三十二座"天狐の舞"、これは種蒔きに一匹の白狐が現れ、土を掘り返して種を食い荒らす白狐 を懲らしめようとする農夫に扮したひょっとこが白狐に馬鹿にされる様子を面白おかしく演じる。
やはり子供達には人気があり大人と一緒になって笑いこけていた。

「とっちゃん、あと少しで恵比寿、大黒が出てきて終わりだなぁ~。」
「そろそろ、何か買いにいくけぇ~。」
「まだ、いいんじゃねぇかぁ~。最後の餅撒きまで見っぺよ!」
「それから買いに行っても遅くねぇからよぉ~。」
「ほんじゃ、そおすっぺっ。」

舞台の上では第三十五座"恵比寿の舞"が始まった。
釣竿を担いだ恵比寿様とひょっとこ2人、そして八本の足のついた縫いぐるみの蛸が出てきた。
恵比寿様は舞台上から釣竿を見物人の方へ出し、張りぼての鯛やおひねり、品物などを見物人から付けてもらって釣り上げる真似をしている。
それに合わせてひょっとこ2人も面白おかしく鯛釣りの真似を演じていた。
そして、いよいよこの太々神楽の結びの舞。豊年満作、家内安全、四海安泰を祈願した第三十六座"大黒の舞"である。

「みっちゃん、最後の餅撒きだから前にいくべよ!」
「餅、何個ぐれぇ拾えっかな~。」
「5、6個ぐれぇは拾えんじゃねぇかぁ~。」
「正月以来の餅だかんなぁ~。なんとか拾わなくちゃ!」

舞台には大黒様のお面を付け、手には小槌、餅の入った鈴袋を背負い、そして、ひょっとこ2人が餅の入った俵を担いで出てきた。
見物人たちや世話人、そして出店の人たちも拝殿の前に集まってきた。
大黒様は舞台の四方をぐるっと回り、舞台の正面から見物人に向かって紅白の丸め餅を撒き始めた。

見物人は、我先にと撒いた餅にわっと群る。みんな拾うのに一生懸命である。
取り合いする者、泣き喚く幼い子供、大人も子供も我を忘れ、形振りも構わずに撒かれた餅に群っている。
ひょっとこ達は投げる真似をしてみたり、わざと遠くへ投げてしまったりしてひょうきんな振る舞いを演じている。

「とっちゃん、何個拾った。」
「5個、みっちゃんは!」
「おら~、8個だぁ。」

拾った餅は土で真っ黒になったものや下駄で踏んづけられたものまで混じっている。
私たちはそれを大事そうに両のポケットにしまい込んだ。
約六時間の余に及ぶ太々神楽も第三十六座全てを演じ終え、舞台の上ではお囃子方が楽屋へと引き上げて鎮守の杜は以前の静けさに戻っていた。

見終わった大人たちは帰り始めている。境内にはおでんや焼きそば、焼きイカなどの美味そうな匂いが漂っている。
そして、それらの出店には子供たちが群り最後の買い物をしている。
私もみっちゃんもその中の一人となり品定めに夢中であった。

「みっちゃん、なに買った!」
「おれ、べえごまとブッカキ飴!」
「とっちゃんは!」
「おら、べえごまだけ!」「これで、べえごまだいぶたまったかんな!」
「みっちゃん、あと買うものねえんだんびゃ~、そろそろ帰えっぺよ!」

境内では、子供たちが焼きイカや焼きそばを食べたり、買ったおもちゃを振り回したりしながらまだ騒いでいる。
私とみっちゃんは、朝登って来た参道を下り始めた。
「とっちゃん、ブッカキ飴、一つやっから!」
みっちゃんは新聞紙で作った小さな袋からブッカキ飴を一つ取り出した。

「わりぃんじゃねぇけぇ~。」
と言いながら、私はブッカキ飴を一つ口の中に放り込んだ。
そして、まだ賑わいの覚めやらぬ境内からは、子供の吹く笛ふうせんの"ブァオ~"という低い音が鎮守の杜にこだましていた。