スケート靴(冬)

今年の冬は例年になく厳しい寒さで老体に堪える。
正月気分にどっぷりと浸かっていた1月も来週は終盤週。

昨日、1月12日は旧暦でいう旧の正月でした。
新暦の今は12月31日が大晦日でしたが旧暦では1月11日が大晦日。

親父とお袋は朝から正月の準備で竈でもち米を蒸かし親父が餅を何臼も搗いていた。
蒸かしたもち米はもっちりとしていて美味しくよく食べたものだ。

搗き終わった餅は最後におろし大根を絡めて食べた記憶がある。
2月に入ると3日は節分、4日は立春と急ぎ早に春の訪れとなる。

だが春とは名ばかり、遅い春はまだまだ先である。
しかし、今年は非常に寒い。追い打ちを駆けるように最強の大寒波が来るという。

先日、妻と娘と3人で霊験あらたかな宇都宮市の多気山にお参りしてきた。
帰り道、林の中にひっそりと氷が張られた小さな沼があるのを目にした。

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「明日は体育の時間スケート教室をやるからスケート下駄を用意するように!」
「スケート下駄やスケート靴がないものは長靴でもいいから忘れないように!」
「それから、スケートの歯で怪我しないように手袋も忘れずに!」

学校帰り同じ部落のやっちゃんにスケート下駄があるか聞いてみた。
「俺は物置小屋に置いてあるが、やっちゃんはあるんけ!」

「俺も、あまやにあると思うんだ。めっけてなければ長靴だな!」
「それから、手袋どうすっかな!」

「俺の手袋なんかねえから、とうちゃんの軍手はめてくっかな!」
私が小学6年生の時の体育の時間の話である。

ほとんどの生徒がスケート下駄だったが裕福な生徒はスケート靴を持っていた。
私の家の隣は下駄屋で数年前にスケート下駄を作ってもらっていた。

次の朝、やっちゃんや同じ部落の同級生が首にスケート下駄を追分にして歩いてくる。
「けいちゃんも体育の時間はスケートけ!」「俺らは午前中だ!」

学校の池は校舎の北裏にあり、そこに氷を張らせてスケートリンクにしていた。
冬は、池から見える銀嶺の那須連山から吹き降ろす冷たい那須颪が頬に突き刺さる。

鼻緒の付いた下駄歯のない下駄に鉄製のスケート歯を付けてもらって履いていた。
鼻緒に紐を通してかかとに引っ掛けて紐を前で襷賭けにして下駄と金具の間に紐を通して緩まないようにきつく縛る。

しかし、滑っていると紐が緩んでしまって思うように滑れなかった思い出がある。
スケート下駄などが無い生徒は羨ましいようにこちらを見ながら池の淵に座ったり長靴で滑ったりしている。

ある時、スケート下駄を履き下ろして振り回していた同級生がいて、たまたま傍にいた生徒の額に下駄の歯が当たり傷を負わしてしまった。
ふざけていたのか、後で先生にこっぴどく叱られたようだった。

家に帰ると何時ものように火の見櫓に据え付けられたスピーカーから集合の連絡が流れてきた。
多分、部落の児童会で作るスケートリンクの打ち合わせの連絡だ。

今日は、放送機器が置いてある部落の公民館に集合だ。
やっちゃんと連れ立って公民館に入ると数人の同級生が集まっている。

「とっちゃんとやちゃんが来たんじゃ、そろそろ始めっかい」
「今日の打ち合わせは、借りた田んぼにスケートリンクを作るべと思うんだがその日程と役割を決めたいと思うんだ」

「今週の土曜日の午後と日曜日で粗方完成したいんだが、何か意見はあっけ!」
「無い様なんで、俺が考えてきた計画でやっぺと思う」

打ち合わせも終わり連れ立ってスケートリンクを作る現地に向かった。
田んぼの南側は杉林、西側には小さなため池があり氷に覆われていた。

北側には遠く雪を被った那須連山が見える。
借りた田んぼは約一反分弱(約300坪)でリンクにするには十分で日陰で申し分がない。

土曜日は学校が半ドンでサブロ(シャベル)や鎌をもって現地に集まり早速リンク造りに取り掛かった。
まず、田んぼに残っている稲株を鎌で切り取り用水路に藁で堰を作り田んぼへ水を引き込む。

「あーあっ、水も北風も冷てーなー」
「でも寒みーからこの分だと氷もよく張るべー、明日が楽しみだな」

そう言いながら稲株切りも水も入れ終わり、明日朝の氷の張り具合を楽しみにして別れた。
明日の朝、やっちゃんと氷の張り具合を見に来たが寒さが弱いせいか氷に登ってみると割れてしまった。

「まだ、駄目だなー、氷が薄いやー」
薄く張った氷を見ながら氷に散らばった杉やナラの葉っぱを竹箒で掃き、用水路から水を張ってみた。

「毎朝来て杉っ葉を掃いてしばらく様子を見ねえと駄目だなこりゃー」
そして数日後、漸くスケートが出来そうな氷の厚さになってきた。

日曜日の朝、リンクを作った仲間や低学年の子供たちがスケート下駄を持って集まってきた。
「俺らも滑っていいけー」と言いながら滑り出している。

「滑ってもいいけど、氷に乗るときは靴の泥を落として滑れよ!」
「後で、掃除すんの大変だからな!」

低学年の子供は綿入れ半纏から真っ赤になった手を出し、鼻を拭き拭き長靴や短靴で滑っている。
田んぼの奥に見える小学校の裏には那須の山々が真っ白に雪化粧していた。

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道脇の雑木林の中の小さな池を脇に見ながら遠い昔の懐かしい想い出が蘇ってきた。

  雪嶺や 学童の群れ 真っすぐに

20年ほど前に雪を被った那須連山や日光連山を望みながら詠んだ句です。

年を重ねたせいか、寒い夜は夜具の中に湯たんぽを忍ばせている。
数年前までは、電気毛布や電気あんかで温めていたが喉が渇いてしまい何故か体に合わないようだ。

昔懐かしい湯たんぽに替えてからは、柔らかな温もりからか寝苦しさを覚えることもなくなった。
子供の頃、母がブリキで出来た湯たんぽにヤカンで沸かした湯を入れ、ボロ布に包んで寝床に入れてくれた。

山間の村の冬は隙間風が吹き込んで本当に寒い。
父は、あまりの寒さに手拭いで頬被りをして寝ていた記憶がある。

今でも、湯たんぽに湯を注ぐあのポコポコという音が懐かしく聞こえる。
冬になると決まって雪の降る夜の懐かしい光景が夢の中に登場する。

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私の父は材木商として兄と共に近隣の山の立ち木を買って原木を市場などに卸していた。
庭の前にはトラックとジープが置いてあり山などを往復して仕事をしていた。

私も、高校を卒業する頃このトラックを乗り出しては運転の練習をしていた覚えがある。
左側に見えるのがそのトラックで2.5tの三菱ジュピターだったと思う。

家の前には街灯がありその奥には建設会社の資材置き場があった。
子供の頃は、資材置き場が近所の子供らの遊び場で叱られながらも資材の中を駆け回っていた。

学校から帰ると誰もいないので積み上げられた資材の中に潜ったりして恰好の遊び場だった。
遊び疲れて家に帰るころには手・顔・服は埃に塗れ母に良く叱られたものだ。

学校から帰ると決まって火の見櫓の拡声器から集合の知らせが流れてくる。
集合場所の火の見櫓の下には消防小屋があり、赤い電球の下で何して遊ぶかの相談である。

周囲の山々が赤く染まる晩秋になると雪虫も飛び始め冬の訪れを伝えてくれる。
この頃になると母が綿入れ半纏を出してくれるが袖で鼻を拭くので何時も鼻汁でカペカペ。

正月が終わると寒さも厳しくなり雪も降り始め、降り積もった雪の翌朝は銀世界に変わる。
野山は雪で覆われ、竹林に積もった雪の重さで竹は路面までしなり道路を塞いでしまう。

日が高くなるにつれて急こう配のカヤ葺屋根に積もった雪がドドドと音を立てて崩れ落ちる。
父は手拭いで頬被りして薪を割り、母は台所のへっついで湯を沸かしている。

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冷たくなった足で温い湯たんぽを足元に寄せ、うつらうつらと幼いころの夢を走馬灯のように楽しんでいる。
まるで、私の大好きな日本画家 谷内六郎の世界だ。
明日の夜も昔懐かしい想い出を温みの中で楽しませてくれるだろうか。

雲(春)

広いレンゲ畑に寝ころび、"五月の風"の薫りを楽しみながら空を見る。
果てしない空に、何片かの雲が浮かんでいる。

私はまどろみながら雲に問いかける。

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お前は、もくもくと湧いてきたかと思うと、いつの間にか消え去ってしまう。
そしてまた、新しい雲を作り出す。

私の心も、お前と同じように次々と悩みが湧きだしてきては私を悩ます。
しかし、私にはそれを消し去ることが出来ない。

雲よ!

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お前には、悩みなど無いのか!
ただ、揺れ動いているのは、私の心のみか!

.............。

私を呼ぶ声が遠くで聞こえる。
何もなかったかのように、ムックリ起きあがり歩き出す。

竹の子(春)

昭和30年頃」、ちょうど、「となりのトトロ」の舞台となった年代である。
いつもみるたびに、私の脳裏に焼き付いている風景が小間切れフイルム のように甦ってくる。

少し大きめのよれよれのランニングシャツ、だぶだぶの半ズボン、おやじのお下がり のくたびれた皮のベルト。
今思うと本当に懐かしく、昨日のように鮮明に甦ってくる。

私は片田舎育ちで今の時期になるとその頃の懐かしい遊びを思い出す。
昭和30年代といえば、たいした食料もない時代である。

学校から帰るとお櫃の中のごはんでおむすびを握り味噌を付けてよく食べたものだ。
「筍の皮」...

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中身は煮物にして食べるが、今考えればこれは皮の有効利用である。
家の裏に小川が流れており、たいがい何枚かの竹の皮が引っかかってい た。

今では考えられないが、ほとんどの家が川で野菜や食器などは洗っていた。
川から拾ってきた「筍の皮」の表の毛をきれいに取り、二つに折って 内側に梅干しをいれ包み込むようにする。

そして二つ折りにした表をしゃぶるのである。
初めは竹の生臭さが口に残るが、しゃぶっている間に中の梅が竹の皮にしみ出して甘酸っぱいような、何ともいえぬ味になってくる。

誰が一番早く竹の皮が赤くなるか競うのである。
今でも、やってみるが口が肥えているのか昔の味にはならない。

そんな昔の小学校の頃の「竹の皮」の思い出である。

どんぐり山(春)

田んぼの中に「どんぐり山」と私たちが呼んでいた山がある。
山と云うよりは周囲50m位の、高さ10m位の丘であった。

ちょうど、どんぐりの実の帽子を取ってそれをかぶせたような形である。
山には「しの竹」が密生していて、杉の木とクヌギの木が何本か立っていた。
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どんぐり山のてっぺんのクヌギの木の下には、「隠れ家」が作ってあった。
「しの竹」の藪を刈払い一畳位のところへ稲藁をすき、周囲を稲藁で囲った場所である。

学校が終わると、何人かで「隠れ家」へ遊びに行った。
遊びに行くときはいつも「肥後の守」をポケットに忍ばせ、切れ味を自慢しあっていた。

鉛筆を削るのもそれだったし、今のように咎められはしなかった。
刃を研ぐのも、指を切るのも自分持ちであった。

だから、それなりに刃物を使うル-ルというものをわきまえていたのかもしれない。
また、部落に一人は「ガキ大将」がいて、それらを統括していたので目立った問題など起こらなかったのかもしれない。

「隠れ家」へ行っては、そこで「しの竹」を細工して自慢し合った。
想いでに残るのは、「スギデッポウ」である。

「ミズデッポウ」を小さくしたもので、細い篠竹と編み物に使う竹の棒で作る。
杉の実をそこに入れ空気で飛ばすのである。

小切れの良い音がしてけっこう飛ばせた。
ときには人の頭などを狙ったこともあった。

また、木に登ったり、かくれんぼしたり、囮で鳥を捕ったりと昔のことであるから、遊びには不自由しなかった。
もう35年も昔のことである。

「どんぐり山」のクヌギの木はまだ立っているのだろうか。
雑木林のクヌギに出逢うたび昔を想い出す。

春の雪(春)

夕刻より、雨が雪に変わった。

昨日まで、五月下旬の陽気であった。

庭の白い木蓮は、樹一杯に白い花を着け、青空に眩しいほどに輝いていた。

いつもは、庭にある枝垂れ桜が花をつける頃、桜も開花するのだが、今年は桜の方が早かった。

鉢植えの藤の新芽も大きく膨らみ、なにもかもが春の到来を待ちわびていた。

「春だなぁ-」

昨日まで感じていた。

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が、しかし、今は雪が降っている。

体感は、そんなに寒いと感じない。

木々にとっては、至極迷惑な雪なのだろう。

白い木蓮は、翌日には白い花びらが、醜い茶に変色して皆落ちてしまうだろう。

しかし、桜だけは雪を喜んでいるのかもしれない。

それは我々に、優雅な姿を少しでも長く見ていてもらえるからかもしれない。

明日からまた暖かくなる。

週末には、桜も雪をかぶったように盛装した散り際の優雅な姿で、我々を楽しませてくれるだろう。

「..........」

雪は、まだしんしんと降り積もっている。

八月の風(夏)

ぎらぎらと照りつける真夏の太陽が、乾ききった白い砂利道に私の黒い影を映しだしている。
土埃をもうもうとあげながらその砂利道を一台の車が通り過ぎて行く。

私は咄嗟に脇の雑木林に入った。
一瞬、暗闇の中に入ったように目の前が真っ暗になってしまった。

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暫くすると林の中の暗さに目が慣れて、徐々に林の奥の方まで見えてきた。
薄暗い林の中は時折、緩く流れる"ひんやり"とした冷気が私の頬を心地よくなぞって行く。

夏の日射を遮る葉の隙間からは、スポットライトのように幾筋もの光が黒い地面に白い斑点を映し出し、無数の木漏れ日を創っている。

微かに流れる風に葉が揺れ、白い斑点は点滅を繰り返す。
まるで、光の影たちが風に乗って遊んでいるかのようだ。

夏草に埋もれながらも木漏れ日を全身に浴び、一際目立った純白のヤマユリの花が数輪薄暗い雑木林の中でそれらを楽しそうにみつめていた。

"丈たかき 樹々のみどりに 慕いより 共にすごせし 人を想いぬ"
(詠み人  麗さん)

紙芝居(冬)

「トン・トン・トン・トン」
台所から軽快な歯切れの良い音が聞こえて来る。
春の七草、"セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ"
早春の青菜を切り刻む音だ。
1月7日、新世紀を迎えて最初の七草である。
「おとうさん、新聞入れ溜まっているみたい。出して整理してくれる。」
包丁の音に混じって妻の声が聞こえる。

新聞入れには案の定、広告と新聞が雑多に積まれている。
何時もの事ながら、広告だけがやけに分厚く感じる。
「もったいないなぁ~」
「いったい何人がこの広告に目を通すのだろう。」
そんなことを思い、きちんと畳み直しながら紙袋へ詰めていく。
「あれ~。」
私は一枚の新聞の見出しの写真に目を奪われた。
それは昭和30年代のものと思われる"紙芝居"の写真である。

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「ちりん、ちりん、ちりん」
自転車に乗った紙芝居屋が鐘を鳴らしながらやってくる。
自転車の荷台には紙芝居と水飴や酢いかの入った大きな箱がくくりつけてある。
その下には太鼓がぶら下がっている。
村のお決まりの場所には、その音を聞いて子供達が集まってくる。
その場所は、"白門"と云われる所で、いつも私達はそこを遊び場にしていた。
大谷石で囲まれた中には、大きな岩の上に建てられた忠霊碑があった。
大谷石は子供らのいたずらで、黒い味噌の部分はほとんどほじくられ、穴ぼこだらけであった。
そこには大きな百日紅の木が植えられており、いつでも誰かしらよじ登っていた。
花の季節になると、紅の花が満開になった。

集まってくる子供らは、いつも15人位いたと思う。
学生服やセイタ-の上に綿入れの半纏を着込み、薄汚れたズボンにはくたびれた皮のベルトがだらりと垂れ下がり、靴はズックかゴムの短靴だった。
服や半纏の袖口は、鼻水を横殴りに拭くので誰の袖口も鼻水の固まりで黒く、"かべかべ"して光っていた。
この頃は、まだ栄養状態が良くなかったので、"ボッ鼻"といって青味かかった鼻汁を垂らしている者が多かった。
いつでも"ズゥ-コ、ズゥ-コ"と鼻汁を鼻の中で往復させている。
よく見ていると"ボッ鼻"がだんだん垂れ下がり口に入りそうになる所で"ズズ-ッ"とすするのである。
それの繰り返しである。
たまには口の中に入ることもあった。
しかし、本人もよく気にならなかったものである。
そんなわけで、鼻の下は埃でいつも真っ黒であった。
その頃は鼻をかむにも、柔らかい鼻紙など無く、新聞紙とか手鼻とか先ほど書いた着物の袖口で済ませた。
袖口は鼻汁が固まっていて、袖で鼻を拭くのに鼻が痛かった覚えがある。
次から次へと昔の事が浮かんでくるので話が横道にそれてしまった。

紙芝居が始まる前にまずお菓子を買う。
これが見物料である。
主なものは水飴、これは割り箸を二本に折りこれに水飴を絡めてある。
割り箸で水飴が真っ白になるまでこねるのである。
そして、口の中へ入れたり出したりして甘味だけ味わいなかなか食べないのである。
あとは、酢いか、酢コンブなどであったと思う。
紙芝居が来るたびに「かあちゃん、銭っ。」と言って、10円貰った覚えがあるから五円か十円位だったと思う。
「とうちゃん、銭っ。」と言った覚えはほとんど無いので母からは貰いやすかったのだろう。
そんな訳だから小遣いに有りつけなかった者は、こっそりと慰霊碑の裏に隠れて"ただみ"していたようだ。
たまには怒鳴られることもあった。
その頃の演目は、たぶん「月光仮面」か「怪人二十面相」などであったと思う。
「月光仮面」などは当時の人気漫画であり、次回来るのが楽しみであった。
週に1度位来たと記憶している。
終わると早速、「月光仮面」の真似事や紙芝居の談義がはじまる。
田んぼにある、わら束の上ではプロレスなどが始まりいつでも服や頭は藁しぶだらけ。
そして日が傾き影が東に長くなる迄遊んだ覚えがある。
そんな昔を思い出させてくれた一枚の新聞であった。

「おとうさん、七草粥出来たわよ。」台所から妻の声がする。
食卓に着いた次男の鼻の下と、目の前にある七草粥を見比べながら苦笑した私であった。

ほたる(夏)

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窓を開けると何処からか風にのって麦の匂いがしてくる。

麦を刈り取ったばかりの懐かしい匂い。

青臭いような、芳ばしいような昔と変わらぬ匂いである。

昔、暑い日に母と二人で汗を流しながら刈り取っていたあの麦の匂いと同じである。

なぜか、母の汗の匂いと麦の匂いがだぶついてしまう。

母は亡くなってしまったが、あの頃が懐かしく思える。

夜になると、家裏の板を渡した洗い場の草むらには宝石を撒き散らしたようにホタルが飛び交う。

ネオンサインのように点滅を繰り返し今思うと非常に幻想的な光景であった。

うちわでホタルをかき集めては(そのくらい多くいた)、麦わらを編んで作ったホタル籠に入れた。

家の中の蚊帳の中に放したりしては母に叱られた。

電球を消し、暗闇の中で見たあのはかない光の点滅の光景が今も瞼の裏に焼き付いている。

今では何処に行ってもあの時のような光景には出会えないだろう。

今は遠き昔の想い出である。

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百日紅(夏)

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百日紅(サルスベリ)の真っ赤な色彩から甘い魅惑的な馨しさに誘われて、蜜蜂が羽音を発しながら花に纏わりついている。
その甘い香りに誘われて、私も百日紅の花に顔を近づけてみる。

甘い香りは、真夏のギラギラした日差しの暑さを、一瞬忘れさせてくれる。
遠い昔、裸足で登った百日紅の滑々とした木肌の感触が思い出され、木の上で嗅いだ花の甘い馨しさは昔と変っていない。

百日紅の奥に続くケヤキ並木は、紅の色とは対照的に濃い緑の葉で覆われている。
その下に置いてあるベンチには、涼しげな木陰を作っている。

ケヤキ並木の木陰からはみ出たベンチには、夏の強い日ざしが容赦なく照り付けていた。
その木陰に腰を掛けながら、額に吹き出た汗を拭う。

麦藁帽子を被った小さな女の子と若い夫婦が、目の前を通り過ぎて行った。
その後からは、百日紅で嗅いだような微かな甘い香りが風に揺れていた。

"みどり濃き けやきの影の うつろいて 人まちがおの ベンチがひとつ"
(詠み人  麗さん。こぶし町在住の方です)

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