2004年、師走。
この年も終わろうとする大晦日に雪が降った。
師走に入ってから2度目の雪である。
暖冬といいながらも師走に積もるほどの雪が2度も降るのはここ数年来なかったことである。
何故か例年になく寒い日が続く。
最初に雪が降った日に上南摩を訪れた。いつもの様に南摩川沿いに車を走らせる。
室瀬の里は真っ白な雪が田畑を隠し、周りの山々はうっすらと雪化粧していた。
私は車を止め、カメラを取り出してファインダーを覗いて見た。
降る雪の音だけが微かに聞こえるようでとても静かである。
室瀬から山の狭まったダムサイト予定地を過ぎると、左側に無人の工事現場事務所がある。
その脇にはバス停が立っており、今は鹿沼駅から上南摩行きの路線バスの終点となっている。
この向かい側には一軒の民家があったが撤去され、裏山の木もすべて切られて切り株だけが残る禿山と化している。
200m程行くと粟沢口で、ここにも最近まで民家が4軒あったがすべて撤去されてしまってプレハブ造りのこの地区の公民館だけが残っている。
すこし行くと、以前橋の欄干に”ダム建設絶対反対”と書かれた茅葺屋根をトタンで被せた民家が廃屋となって一軒だけ川沿いに建っている。
村の中ほど下梶又地区の民家もすべてが撤去されて荒野と化し、消防小屋と火の見櫓だけが道脇に残って建っている。
西之入り地区もすべての民家が撤去され、旧梶又小学校の校舎と浅間神社、そしてこの地区の公民館だけが残されている。
ここに来るまで、荒野と化した枯野を貫く曲がりくねった道の脇に並んで立つ電柱が何故か異様に感じてしまう。
山際に祭られていた三日月様の石灯籠と石の祠はいつの間にか無くなっている。
この近くに建っていたログ風の家具工房も暮までにはきれいに撤去されてしまっていた。
かつて上南摩の路線バスの終点があった地区には、小高い丘に立つ数基の墓地と春になると真っ赤なツツジが山の斜面を染める民家がただ一軒だけ残っているだけである。
たぶん新年度になればダム建設用の取り付け道路や工事現場事務所が所々に設けられ、既に決定されてしまった南摩ダムの本体工事が始まるのであろう。
上南摩の禿山の中腹には数箇所目立つように櫓が組まれ、赤と白に上下半分づつ塗られた標識(たぶん、ダムが竣工して満水になった時の位置を記した標識?)がダム工事の遅れを急かしている様に見えてならなかった。
(平成17年1月現在)