室の八島を尋ね詣づ。木立ふりて神さびたるさまいと殊勝なり。しげれる森の内にいかなる人の作れるにや、回り回りて池を掘り、池の中に島と覚しき八つ残したり。八島といふ名にめでてなせしなるべし。年久しき業とも見えず。おかしき事を構へたるものかな。
元文三年(1738)山崎北華「蝶の遊」
「室の八島」は”けぶりたつ「室の八島」”と呼ばれ平安時代以来東国の歌枕として都まで聞えた名所でした。
ここには幾多の歌人によって多くの歌が残されています。
朝霧や室のやしまの夕けふり (連歌師・宗長)
いかでかは思ひありとも知らすべき室の八嶋の煙ならでは (藤原実方)
人を思ふ思ひを何にたとへまし室の八島も名のみ也けり (源重之女)
下野や室の八島に立つ煙思ひありとも今日こそは知れ (大江朝綱)
煙たつ室の八嶋にあらぬ身はこがれしことぞくやしかりける (大江匡房)
いかにせん室の八島に宿もがな恋の煙を空にまがへん (藤原俊成)
恋ひ死なば室の八島にあらずとも思ひの程は煙にも見よ (藤原忠定)