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惣社河岸跡
飯塚より思川沿いを遡上し川を渡って惣社河岸に上がった芭蕉一行は大神(おおみわ)神社へと向かう。
この碑は平成元年に「奥の細道紀行三百年記念」として栃木市の東端に開発された工業団地の一角に建っている。
また、この近くには猟奇事件で有名な阿部定が収監されていた栃木女子刑務所がある。

大神神社
参道の両側に寄進された赤い気の灯篭の中を行くと正面に大神神社の社殿が見えてくる。
そして広い境内は年功のある太い杉の木に囲まれ凛とした神聖な霊気に包まれている。
右手に神楽殿、左手には室の八島といわれる池が広がり、その入り口には芭蕉の句碑がある。

大神神社の由来
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大神神社
大神神社は、今から千八百年前、大和の大三輪神社の分霊を奉祀し創立したと伝えられ、祭神は大物主命です。
惣社は、平安時代、国府の長官が下野国中の神々にお参りするために大神神社の地に神々を勧請し祀ったものです。

室の八島
室の八島を尋ね詣づ。木立ふりて神さびたるさまいと殊勝なり。しげれる森の内にいかなる人の作れるにや、回り回りて池を掘り、池の中に島と覚しき八つ残したり。八島といふ名にめでてなせしなるべし。年久しき業とも見えず。おかしき事を構へたるものかな。
元文三年(1738)山崎北華「蝶の遊」



「室の八島」は”けぶりたつ「室の八島」”と呼ばれ平安時代以来東国の歌枕として都まで聞えた名所でした。
ここには幾多の歌人によって多くの歌が残されています。

 


朝霧や室のやしまの夕けふり            (連歌師・宗長)
いかでかは思ひありとも知らすべき室の八嶋の煙ならでは  (藤原実方)
人を思ふ思ひを何にたとへまし室の八島も名のみ也けり   (源重之女)
下野や室の八島に立つ煙思ひありとも今日こそは知れ    (大江朝綱)
煙たつ室の八嶋にあらぬ身はこがれしことぞくやしかりける  (大江匡房)
いかにせん室の八島に宿もがな恋の煙を空にまがへん    (藤原俊成)
恋ひ死なば室の八島にあらずとも思ひの程は煙にも見よ   (藤原忠定)