塩谷町玉生から会津西街道を東に向かい矢板市へと出る。
途中倉掛を通り、曾良随行日記には鷹内へ二里八丁。鷹内より矢板へ一里程。とあるが今の幸岡をいう。
矢板から沢観音への道は矢板市成田三叉路より右手に入り、52号線を東進して行くと沢宿にはいり寺は左手の小高い山の上にある。
沢観音寺は矢板市の北東にあり下野三十三札所巡りの8番札所で、那須与一の兄、那須満隆が築いた沢城址に建っている。本尊の千手観音(県の文化財)は「千手千眼堂」の厨子のなかにあり、鎌倉時代の作と伝えられている。
また、寺には金色に輝く大慈母澤観音が建っていて裏山には芭蕉の句碑がある。そこからは素晴らしい那須野が原を見渡すことが出来ます。
かさね橋は沢宿より手前の東北新幹線の手前の道(日光北街道)を左折し大田原方面に行くと箒川があり、そこに掛かる橋がかさね橋である。
ここ沢観音寺の裏山からは那須連峰と那須野が原、そして箒川を横切る日光北街道に掛かる”かさね橋”を見渡すことができる。
箒川を渡ると那須野が原、この先の薄葉から実取あたりで芭蕉は馬を借りたらしい。そしてこの地で”かさね”との出会いがあったといわれている。
この箒川に掛かる橋は”かさね橋”といい近年造られたもので、橋の欄干の基には”かさね”と句のレリーフが彫られている。原画は蕪村が描いたものである。
(沢観音寺よりかさね橋、那須連山を望む)
「寺山観音寺」
寺山観音寺は矢板市の北西部、高原山の裾野に建つ下野三十三観音札所第七番の古刹である。与楽山観音寺といい、奈良時代の神亀元年(七二四年)のころ寺山観音の前身である法楽寺が、高原山剣ヶ峰近くに行基菩薩によって建立された伝えられる。
法楽寺は、当時山岳仏教の中心として栄えたものと考えられ、寺の在所、観満平などの地名が残っている。平安時代の大同元年(八〇六)徳一上人が法楽寺を現在の寺山の地に移し観音堂を建立したという。
本尊・千手観音坐像、毘沙門天立像、不動明王立像は国の重文に指定されている。この本尊は秘仏であり六十年に一度開帳される。また境内には県指定の天然記念物の大銀杏がある。
この近辺には、栃木県民の森、寺山ダムそしてリンゴ狩りが楽しめる長井地区がある。
「八方ヶ原」
原一面に限りなく広がるレンゲツツジの壮大な大群生地。
5月下旬〜6月にかけてのレンゲツツジの群生は約300haの大間々と100haの小間々台地を埋め尽くす。