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遊行柳と紫陽花

黒羽より国道294号を白河方面に北上すると芦野に出る。ここは芦野石の産地でもあり、昔は奥州街道の関東最北端の宿場町として栄えていた。
「遊行柳」は芦野町並から西に外れて芦野バイパスと旧奥州街道の合流点にある。 ここには遊行庵というお休み所があり、そこから田んぼの中の道を西に5分ほど歩いていくと田んぼの中にある。
五月の田植えの時期には芭蕉も見たであろう、のどかな田植えの風景に包まれる。

遊行柳の解説(PDF版 2600kb)那須町誌より

遊行柳

「遊行柳」

室町後期になって、観世信光(1435〜1516)は、西行が那須・芦野で詠んだ上の歌の柳を主題にして、謡曲「遊行柳」を創作した。
これにより芦野の柳は「遊行柳」として広く世に知られるところとなり、歌枕の地となった。

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遊行柳にある芭蕉の句碑

「遊行柳」伝説

遊行上人が諸国を巡歴して、白河の関近くに来ると、一人の老翁が現れて、初代遊行上人の通られた古道を教え、古塚のほとりにある朽木の柳を見せる。上人がその由来を尋ねると、老翁は「これこそ西行が”道のべに清水流るる柳かげ・・・”と詠んだ名木である」と答え、上人から十念を授かるとそのまま柳のほとりで消えてしまった。
その夜、上人がここで念仏を唱えていると、朽木の柳の精が白髪の老人となって現れ、十念を授かったおかげで非情の草木でありながら成仏出来たことを喜び、報謝の舞を舞う。夜も明け方になると、老人の姿は消え、ただ柳の朽木だけが残っていた。
この伝説を基に謡曲『遊行柳』が観音信光によって作られた。

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西行の歌碑蕪村の句碑

清水流るる堀の脇には、西行の歌碑、蕪村の句碑がひっそり建っている。

遊行柳の西行歌碑 (左)
”道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ”

遊行柳の蕪村句碑 (右)
”柳散 清水涸 石処々”

湯泉神社

「湯泉神社」

遊行柳を抜けて道なりに行くと山際に巨木に囲まれた湯泉神社がある。
数年前、湯泉神社(上の宮神社)を訪れたとき、祭壇に能楽関係の方の御札が奉納されていたのを記憶している。

夫婦石

「夫婦石」

奥州街道を北へ鍋掛宿から芦野へ向かう途中、寺子を過ぎたあたりの道の右手に「夫婦石神社」がある。僅かばかりの駐車場に車を置き田んぼの畦を通って神社へと向かう。
そこには二つに割ったような大きな岩がある。これが夫婦石である。

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那須歴史探訪館那須歴史探訪館

「那須町歴史探訪館」

那須町は古くから文化伝播の経路にあり、遺跡、史跡が数多く残っています。那須歴史探訪館は、町の歴史を「道」をテーマに表現しています。

那須歴史探訪館

芦野家の陣屋跡

「御殿山」

天正一八年(一五九〇年)芦野盛泰が築いたというが、また天文年中(一五三二年)資興が太田道灌の築城方によって構えたともいわれている。芦野家の陣屋(一万石以下の旗本の居城を陣屋という)

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