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vol.05

南摩川の橋を渡り真っ直ぐ行くと右曲がりの大きなカーブに差し掛かる。
カーブの突き当りには、分厚い鉄板が敷かれた工事用の橋が掛かり、入り口は工事用のプラスチックバーで遮断されている。
その橋の向こうは、山際まで田んぼであったろうと思われる跡があり、一面枯れ草で覆われていた。
その奥にある山は、尾根付近まで木が切られて木っ株だけが残された禿山と化している。
低い尾根付近では、ごつごつとした岩肌が剥き出され、荒れるに任された状態となっている。
南摩川に沿ってちょっと行くと、左へと入る林道がある。
そこには沈下橋と言うよりも小さな堰があって、堰の下は淵となって青く淀んでいる。
私は、そこに山女でもいるかと思い小石を投げ込んでみた。
しかし、釣られてしまったのか魚影すら見えない。
そんな岸辺には枯れ草に混じって柔らかな綿毛を付けた猫柳が、キラキラと波立つ清流の光の中で輝いていた。
林道入り口の向かい側にも荒れ果てた田んぼの跡が広がっている。
その枯野の中に一本の古びた木の電信柱が傾いて立っている。
そこには一本の電線が本線から弛んで張られていて、外して使わなくなった電線が輪に束ねられて電信柱に引っ掛けられている。
黒々とした杉山を背に、枯れきったススキの穂と一直線に伸びた電線が逆光に輝いていた。
枯れ野に半分埋もれひっそりと立つその様は、何故か寂しくて悲しそう。
そして、その脇にも枯れ野と化した屋敷の跡があった。
この屋敷跡の入り口には一本の枝垂れ桜があり、枯れ野の中で見事な枝を四方に広げて悠然と立っている。
樹齢は計り知れないが、ここに以前住まわれた方が庭に植えたものだろう。
今までにどの位、上南摩の素晴らしい四季の移り変わりを見届けてきたのだろうか。
私は、大きな枝垂れの桜に近寄って芽をつまんでみた。
まだ固い。が、ほんのりと膨らんでいるかのようにも感じられる。
この見事な枝垂れ桜もいずれ切られて処分されるか、それとも何処かに移植されるのか今の私には分からない。
ただ、上南摩の地の長い歴史をくまなく見続けてきたこの木を、是非、後世まで残しておいて欲しいと私は思う。
今年の春には、溢れるような桜色を悠然と着飾り、盛装した見事な雄姿を我々に魅せてくれるのは間違いないだろう。