日光連山の山裾に、黒々と折り重なるように連なる前日光の山々。
その折り重なる山懐の一角に上南摩がある。
清流、南摩川には山女が泳ぎ、夏ともなれば透きとおった清流で泳ぐ子達のはしゃぐ声が聞こえて
きそうな、山襞の中にある小さな集落である。
このサイトは、2003年より上南摩に惹かれて撮り綴った上南摩の記録です。
南摩ダムは、1964年に構想が発表され1969年に実施計画調査されました。
翌年の1970年には、利根川・荒川水資源開発基本計画の改定に基づいて思川流域の洪水調整と首都圏・栃木県南部の水需要の確保を目的として思川の河川総合開発事業(思川開発)が計画されました。
当初の計画では、南摩川・行川にダムを建設し大芦川・黒川・大谷川から導水路によってダムに水を確保しようと考えられました。
水資源機構としては、2010年の竣工を目指していました。
しかし、この間、地域住民の反対運動や公共事業の見直し等により当初の計画も縮小されました。
2001年には、長い間膠着状態だった水没地域住民との補償交渉も妥結して、76戸の地域住民の移転も完了しました。
2009年には、政権交代による"ムダなダムの見直し"により建設途中の南摩ダムもその対照となりダム建設が凍結されました。
現在の南摩ダムは、ダム検証により凍結されたままです。
上の3枚の写真は、鹿沼市上南摩室瀬地区からみたダムサイト建設予定地の写真です。
左は、2009年3月。中は、2009年11月。右は、2013年7月の上南摩室瀬地区です。