整地された屋敷跡の裏を直角に曲がると道は川こ沿つて直線となる。
川沿いには孟宗竹が植えられている。
葉の重みでしなった竹は、風にざわざわと揺れながら光に輝いている。
左奥には、先確の小高く盛られた古い塚が見えている。
私は、背丈もある枯れ草をかき分けながら塚の方へ行ってみた。
まだらに生えた残った枯れ草の合間からは"さや"が見える。
小さな"さや"の前には、故人が使っていたと思われる陶器の茶碗と箸が載った白木の朽ちかけた膳が添えられている。
そして、小高い塚の上には二基の墓石があり、その横には長い月日の間に風化した石塔が西を向いて建っている。
私は塚の前に佇み手を合わせた。
早春の柔らかな光は、私の長い影を塚の上にいつまでも残していてくれた。
塚の入り口からちょっと行くと左に入る狭い砂利道がある。
左奥には先程の塚が見え、山に沿つた道を奥まで行くと薄暗い杉山に入る。
道の左側には猫の額ほどの墓地らしき跡がありその奥は行き止まりであった。
戻って県道に出ると、突き当たりに鉄製の構が掛かっている。
入り口には鉄の鎖が二本張られて錠で結ばれていた。
その橋の欄干には、大きな看板が四枚並んでいる。
そこには「ダム建設絶対反対」の八文字が白地の看板に大きく書かれていた。
この看板は、クランクを曲がり切ると同時に目に飛び込んでくる。
看板の八文字は、南摩川を支配しているようで強烈な威圧さえ感じてしまう。
橋の入り口に張られた鎖を跨いで橋を渡る。
正面には鬱蒼とした杉山を背に、風格のある古民家が正面を見据えてどっしりと構えていた。
茅葺きの屋根はトタンで包まれ、所々が雨の流れに沿つて赤く錆び付いており風雪を感じさせる。
広い軒下の木の雨戸はぴったりと固く閉じ、歪んだガラスの入った引き戸の入り口には南京錠が掛けられ力一テンが閉まっていた。
"誰もいない。離村されたのだろう。
昨年の秋。
やはり、私は三脚にカメラを据えてこの場所に立っていた。
民家の広い庭は伸びた秋草に覆われて荒れたままだった。
民家の脇にある納屋の前には、この家の"おばあちやん"が使っていたのであろう、手押し車が荒れ放題の秋草の中に"ぽつん"と打ち捨てられていた。
何となく切ないこの光景に、私は数年前にこの世を去ったありし日の母の婆をこの手押し手にダプらせていたのかも知れない。
時折吹く乾いた山風が、裏木戸にある柿の木の色付いた葉っぱを"ひらひら"と舞い散らせていた。
その光景は、ファインダーを覗く私の目には綺麗でありながらも何故か寂しい切なさを感じてならなかった。
吹く風にどことなく春を感じさせる今、ファインダーに映される光と影は少しも変わってはいない。