遠い夏の日の想い出(1)(夏)

子供たちの夏休みが終わろうとする頃、私は夢にうなされることがある。
もう30数年前の事であるが、夢の中では鮮明に甦ってくる。
それは、私が5,6年生の夏休みの終わりの頃の思い出である。

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夏休みに入ると朝9時のころから夕方4時のころまで友達と川へ泳 ぎに行くのである。それも雨の降る日以外は毎日である。
朝は、今でも行われている"ラジオ体操"にいって"はんこ"を押 してもらう。
そのためには、朝飯など食っている時間がない。起きるだけで精一杯、 顔など洗わない、当然歯なども毎日磨かない。
帰ってきてからの朝飯がうまかった。おかずは"なす"のぬかずけと" みょうが"のみそ汁だけ農家なので毎朝同じ(昼も同じ)であった。
しかしうまかったなぁ-。
それから、家の手伝い。主にかいばきり(牛を飼っていたので、その餌、 わらのみじん切り)でありそれを適当におわす。
頭の中はもう川の中である。
自転車をこいで川に向かい、雑木林の中で海水パンツにはきかえる。
あの頃の海水パンツは白いビニ-ルのベルトが付いていて何年も使ってい るので留め金が錆ていてよく止まらなかった。その時は縄で縛った。
また、学校帰りなどはパンツを持っていないので、手拭いを縄で褌にして 泳いだ覚えもあった。
10時頃になると部落中のガキどもで、河原も賑やかだった。
石の上で甲羅干しするもの、深場で潜る者、"ヤスつき"する者....
その頃はやった遊びで面白いのがあった。
それは、泥(川底の粘土質が最高)でソフトボ-ル位の玉を造り高さ40 cm位の滑り台を砂で作って転がしてぶつけ割れた方が負けである。
いろいろ工夫した覚えがあった。
十分に遊び、雑木林でパンツにはきかえる時の雑草の草いきれが、今の夏 の雑木林の草いきれとダブってくる。
家に帰ると、風呂の水くみが待っている。
手こぎポンプから風呂桶までブリキの筒で通し、桶いっぱいになるまでポ ンプを漕ぐ。それも日課であった。
夜になると、泳ぎ疲れ、いや、遊び疲れで寝てしまう。
それが毎日であるから宿題などする暇がない。
夏休みの終わりの2.3日前まで気が付かない。
よく姉に手伝ってもらったものである。
日記などは以前のことが忘れてしまって、 毎日同じ事が書いてあり天気などはあてずっぽうである。

私が尊敬している "谷内六郎画伯 "の描いた"宿題"(1951年)を思 い出す。
そんな誰でもがあるような思い出が"夏の雑木林"にはある。
遠い昔の夢にまで見る記憶が今でも甦る。