デスティネーションキャンペーン in 中禅寺湖畔

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薫風が頬をかすめ、新緑に映える山々。
まさに、私のサイト名の由来となった五月の風の季節の到来です。

目には青葉 山ほととぎす 初鰹
この句は、江戸中期の俳人 山口素堂(16421716)が今の季節を詠んだ有名な一句です。
山に目をやれば薫風にそよぐ新緑。その山々から聞こえてくるホトトギスの澄んだ声。これから旬を迎える美味しい初鰹。

そんな、初夏ごろの素晴らしい風景を詠んだのでしょうね。

今日の新聞折込のとちぎ県民だよりに栃木県の大型観光企画「デスティネーションキャンペーン(DC)」の紹介記事が載っていました。
4月始めにも「デスティネーションキャンペーン」記事が紹介されていました。
今回は中禅寺湖を満喫!という触れ込みで中禅寺湖畔に建つベルギー王国大使館別荘の特別公開が紹介されていました。
ベルギー王国大使館別荘は現在も使われており、建築90周年を記念して初公開されるそうです。
中禅寺湖畔にはイタリア大使館別荘記念公園や英国大使館別荘記念公園がすでの公開されていますが、ベルギー王国大使館別荘の特別公開は初公開なので是非訪れてみたいと思っています。

ベルギー王国大使館別荘の特別公開
期間 6月の土日・月曜(6月30日を除く) ※ 公開日以外は立ち入り禁止。
時間 午前10時から午後4時 ※ 料金は無料。
とちぎ県民だより5月号
「本物の出会い 栃木」デスティネーションキャンペーン

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懐かしいエッセイ 太々神楽(三)

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懐かしい想い出 太々神楽その三です。

太々神楽(三)(春祭りの想い出)

勇壮で迫力のある"岩戸の舞"を演じ終えたみっちゃんの父ちゃんは舞台の中央に立ち、激しい演技の為か肩で大きく息をして呼吸を整えている。
タジカラオノミコトの面を付けた顔の顎からは汗が滴り落ちていた。
第二十四座"稲田姫命の舞"から第二十八座"須佐之男命の舞"までは、この神楽の第二のクライマックスであり、中でも古事記に出てくる神話"八俣の大蛇"は"岩戸の舞"に継ぐものである。
"八俣の大蛇"
出雲の土地へとやって来た須佐之男命は、肥の河(島根県斐伊川)の上流にある鳥髪という所でアシナヅチとテナヅチの老夫婦に出会う。
二人は酷く泣き悲しんでいて須佐之男命が問いただすと、この老夫婦には八人の娘がいたが、北の土地から来る"八俣の大蛇"に毎年一人づつ食べられてしまい、今年はただ一人残った"クシナダ姫"が大蛇の生け贄にされてしまうのが悲しくて泣いているのだ。
老夫婦は、須佐之男命に大蛇を退治して欲しいと懇願するのである。
"八俣の大蛇"は眼は火の玉の様に不気味に輝き、頭と尾が八っに分かれていて胴体の長さは八っの谷、八っの山を越えるほど大きな恐ろしい大蛇であると言う。
そこで須佐之男命は、この大蛇に強い酒を飲ませて酔わせ、寝ている間に退治すると言う神話である。
ここでも"大蛇の舞"の前座として白の狩衣装束に手拭いで頬被りして烏帽子を被り"ひょっとこ"の面を付けた道化が二人出てくる。
子供たちにとっては道化が面白おかしく演じるので、"ひょっとこ"が出てくると舞台の周りに集まり舞台にかぶりついて見ている。
「とっちゃん、ひょっとこ始まったから前に行ってみんべよ!」
「でもみっちゃん、あんまり前に行って舞台にかぶりつかねぇほうがいいんじゃねぇけ!」
「あんまり前に行ってみっと、ひょっとこにつかまっかんなっ!」
登場する"ひょっとこ"の二人には酒が入っていて足元がふらついており、柱に攀じ登ってみたり、おどけた真似をしたりしてみんなを笑わせている。
しかし、子供たちにとって一番注意を要するのはこの"ひょっとこ"だった。
"ひょっとこ"が出る他の演目でも、近くで見ているといきなり抱きかかえられて舞台の上に引きずり込まれてしまう。
小さな子供などは足をばたつかせながら泣き出してしまう事もあった。
しかし、道化たちはそんな事にはお構いなし。たまに隅柱に捕まり損ねて舞台から転げ落ちてしまう"ひょっとこ"もいたようだ。
"ひょっとこ"は舞台の中央に張りぼてで出来た土器の酒壺を置いて大蛇が現れるのを待っている。
大蛇は紫地の装束にくすんだ黄の袴を穿き、龍の頭とも思える被り物を付けて出てきた。
ここの神楽に登場する"大蛇(おろち)"は、他の里神楽に見られるような"とぐろ"を巻いた大蛇ではなく紫地の衣装を羽織っているだけである。
しかし、一人演技としては蛇独特の動作を見事に表現し、十分見応えのある大蛇でもあった。
蛇がのたくる様にゆっくりとした足運びで左右を見渡しながら舞台の周りを周る大蛇は中央に置かれた酒壺へとやってくる。
その大蛇の出現に驚き慌て、二人で抱き合ってみたり、隅柱に抱きついて見せたりして逃げ惑う"ひょっとこ"の動作も面白かった。
「みっちゃん、あのひょっとこはひろちゃんとこの父ちゃんがやってんだよなっ!」
「あと一人は誰だんべ!」
「たかおちゃんとこの父ちゃんじゃねえかぁ!」
「そおけぇ~。」
太々の演目によって演技する人が分かるのである。
舞台の上では、男の小学生が"ひょっとこ"に捕まって舞台の上に引っ張り込まれた。
汚れてツギの当たった尻を晒しながら四つん這いになって舞台の上を逃げ回っている。
男の子は学帽を舞台の上に落としたらしく、舞台の下で「おれの帽子、とっとこれえっ!」と、じなっている。それを見て、見物人達はげらげらと笑いこけている。
大蛇は壺に入った酒を飲み干し、横になって寝ている。"ひょっとこ"二人は持っている扇子を広げて、大蛇を扇いで見たり突いてみたりして大蛇の様子を窺っている。

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そして、いよいよシャグマの冠り物に青地の装束、白い襷を架け"降魔の剣"を手にした勇壮ないでたちで須佐之男命が登場する。
そして、荒れ狂う"八俣の大蛇"と須佐之男命が髪を振り乱しながら勇壮果敢な乱舞を繰り広げるのである。
八俣の大蛇は須佐之男命によって見事に退治されて切り刻まれ、その尾の中からあの有名な"草薙の剣"を授かる場面が演じられた。
そして、狐のお面を被り、鈴と榊を持った白狐と道化が演じる第三十二座"天狐の舞"、これは種蒔きに一匹の白狐が現れ、土を掘り返して種を食い荒らす白狐を懲らしめようとする農夫に扮したひょっとこが白狐に馬鹿にされる様子を面白おかしく演じる。
やはり子供達には人気があり大人と一緒になって笑いこけていた。
「とっちゃん、あと少しで恵比寿、大黒が出てきて終わりだなぁ~。」
「そろそろ、何か買いにいくけぇ~。」
「まだ、いいんじゃねぇかぁ~。最後の餅撒きまで見っぺよ!」
「それから買いに行っても遅くねぇからよぉ~。」
「ほんじゃ、そおすっぺっ。」
舞台の上では第三十五座"恵比寿の舞"が始まった。
釣竿を担いだ恵比寿様とひょっとこ2人、そして八本の足のついた縫いぐるみの蛸が出てきた。
恵比寿様は舞台上から釣竿を見物人の方へ出し、張りぼての鯛やおひねり、品物などを見物人から付けてもらって釣り上げる真似をしている。
それに合わせてひょっとこ2人も面白おかしく鯛釣りの真似を演じていた。
そして、いよいよこの太々神楽の結びの舞。豊年満作、家内安全、四海安泰を祈願した第三十六座"大黒の舞"である。
「みっちゃん、最後の餅撒きだから前にいくべよ!」
「餅、何個ぐれぇ拾えっかな~。」
「5、6個ぐれぇは拾えんじゃねぇかぁ~。」
「正月以来の餅だかんなぁ~。なんとか拾わなくちゃ!」
舞台には大黒様のお面を付け、手には小槌、餅の入った鈴袋を背負い、そして、ひょっとこ2人が餅の入った俵を担いで出てきた。
見物人たちや世話人、そして出店の人たちも拝殿の前に集まってきた。
大黒様は舞台の四方をぐるっと回り、舞台の正面から見物人に向かって紅白の丸め餅を撒き始めた。
見物人は、我先にと撒いた餅にわっと群る。みんな拾うのに一生懸命である。
取り合いする者、泣き喚く幼い子供、大人も子供も我を忘れ、形振りも構わずに撒かれた餅に群っている。
ひょっとこ達は投げる真似をしてみたり、わざと遠くへ投げてしまったりしてひょうきんな振る舞いを演じている。
「とっちゃん、何個拾った。」
「5個、みっちゃんは!」
「おら~、8個だぁ。」
拾った餅は土で真っ黒になったものや下駄で踏んづけられたものまで混じっている。
私たちはそれを大事そうに両のポケットにしまい込んだ。
約六時間の余に及ぶ太々神楽も第三十六座全てを演じ終え、舞台の上ではお囃子方が楽屋へと引き上げて鎮守の杜は以前の静けさに戻っていた。
見終わった大人たちは帰り始めている。境内にはおでんや焼きそば、焼きイカなどの美味そうな匂いが漂っている。
そして、それらの出店には子供たちが群り最後の買い物をしている。
私もみっちゃんもその中の一人となり品定めに夢中であった。
「みっちゃん、なに買った!」
「おれ、べえごまとブッカキ飴!」
「とっちゃんは!」
「おら、べえごまだけ!」「これで、べえごまだいぶたまったかんな!」
「みっちゃん、あと買うものねえんだんびゃ~、そろそろ帰えっぺよ!」
境内では、子供たちが焼きイカや焼きそばを食べたり、買ったおもちゃを振り回したりしながらまだ騒いでいる。
私とみっちゃんは、朝登って来た参道を下り始めた。
「とっちゃん、ブッカキ飴、一つやっから!」
みっちゃんは新聞紙で作った小さな袋からブッカキ飴を一つ取り出した。
「わりぃんじゃねぇけぇ~。」
と言いながら、私はブッカキ飴を一つ口の中に放り込んだ。
そして、まだ賑わいの覚めやらぬ境内からは、子供の吹く笛ふうせんの"ブァオ~"という低い音が鎮守の杜にこだましていた。
(春の雑木林より)

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懐かしいエッセイ 太々神楽(二)

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懐かしい想い出 太々神楽その二です。

太々神楽(二)(春祭りの想い出)

"トッピィ~ヒャラリィ~、トッピィヒャロ""シャーン、シャシャ、シャーン""ドーン、ドド、ドーン"
拝殿では太々神楽が既に始まっていた。
神々を崇める笛や太鼓、鈴の音色が入り乱れ、鎮守の杜はその賑わいにすっぽりと包み込まれていた。
拝殿の中央では、白い衣装に羽織をつけ赤い袴、頭に冠を載せ女の面を付けた"第十座の"八幡巫女の舞"が演じられていた。
「とっちゃん、いまんとこ"だいだい"つまんねから何か買ってくっぺよ!」
「ほだな。」と言って、境内の周りに出ている出店の方に行ってみた。
テントを張った出店は間口6尺程で、セルロイドのお面や風車を売る店、焼きイカや今川焼きを売る店、ブリキのおもちゃなどを売る店や綿菓子を売る店など七軒ほど出ていた。
ここでも群っているのは子供だけ、薄汚れた黒い学生服に学帽を被り、尻に継ぎ当てしたよれよれのズボンを穿きしゃがんで品定めをしている者。
おかっぱ頭に赤い綿入れ半纏、しもやけた真っ赤な手をした女の子。セーターの上に黒い絣の綿入れ半纏を着て、天気が良いのに何故か長靴を履いている男の子。
どの子を見ても鼻の下は埃で薄汚れている。
小さな子は半纏の袖口で鼻を拭くため、袖口は鼻水が固まってかぺかぺしている。
履物も下駄、草履、長靴、短靴などいろいろで靴下など履いていない。
「おじちゃん、これいくらだい!」
「10円だ!」
「これは!」
「5円!」
「こらっ!きたねえ手でそっちこっちさわんじゃねえ!」
「かわねんだら、あっち行ってろ!」
子供たちはそんな事にはお構いなし、親からもらった少ない小遣いの中で品定めに夢中である。
「みっちゃん、何か買ったけ。」
「まだ、買ってねぇ。」
「ほんじゃ、二人で水飴でも買って"だいだい"見っぺ!」
「あとは、終わってからゆっくり買あべよ。」
舞台の上では、ひょっとこの面を付けて滑稽に演じる第五座の"安河原道化の舞"を演じていた。

太々神楽の演目は、第一座の"総礼の舞"に始まって第三十六座結びの"大黒の舞"で締めくくられる。
上演時間は一座で約10分位、長いものは30分程あり三十六座で約六時間程の神楽である。
神楽の種類は"神田流岩戸神楽"と言われ、昭和32年に栃木県の重要文化財に指定され、NHKから収録取材に来た事もあった。
神楽を伝承するのは部落住民の義務であって、特に長男を継承者としていた。
そして、この神楽は第一座"総礼の舞"に始まり第二十座"岩戸の舞"を中心として第三十六座"大黒の舞"をもつて終了とした。
ただ、この神楽は如何なる事情があろうとも"岩戸の舞"で岩戸を開けないうちは中止出来ないしきたりがある。
(栃木県教委版「栃木県の民俗芸能(1)」より引用)

第十五座の"安河原道化の舞"は神が剣を造る様子を演じたもので、神と神の下僕として"ひょっとこ"の面を被った道化が登場する。
"ひょっとこ"二人が"鍛治屋"の道具を担ぎ、舞台の中央で"刀鍛治"の様子を面白おかしく演じている。
道化役の二人はすでにある程度のお酒が入っており、酔った威勢おいで滑稽に演じるその様は私達子供にとっても大変な人気であった。
神楽で"ひょっとこ"の出てくる場面の時は、見物人が舞台の周りに集まって来て声を上げて笑いこけていた。
「みっちゃん、腹へんねけぇ!」
「うん、腹減った。もうお昼だかんな。」
「昼メシ、どおする。焼きそばでも買ってきてたべっけ!」
「いいよ、とっちゃん、銭もったいねえよ。俺、父ちゃんとこ行って何か貰ってくっから。」
みっちゃんはそう云いながら拝殿横の楽屋へと駆けて行った。
みっちゃんの父ちゃんは、太々神楽の中で一番勇壮で人気のある第二十座"岩戸の舞"の荒神手力男を演じる村一番のヒーローでもあった。
"岩戸の舞"は古事記に出てくる日本神話を元に創られた演目で、天照大神がスサノウノミコトの暴状を怒り天の岩屋に篭ってしまった為、大力の神"荒神手力男"が天岩屋戸を開いて天照大神を出したと云う神話に基づく舞である。
みっちゃんが両手に何んかを持って駆けてきた。
「とっちゃん、これで腹ごしらえすっぺ。」
片手には木皮にてんこもりにした"おこわ"(赤飯)、もう片方には木皮で包んだ"煮しめ"が入っていた。
「ぜぇぶん貰って来たんじゃねえけぇ!」
「これで腹一杯になんな!」
私とみっちゃんは、狛犬の台座に腰掛けてそれらを平らげた。」
お昼には神楽も中断し、お祭り当番の人達が楽屋の中で舞人やお囃子の人達に食事の世話をしている。
当然お酒も入り、楽屋の外には熨斗の付いた一升瓶が何本も転がっていた。
見物人達は、持ってきた莚を敷きお握りや出店で買った焼きそばなどを食べながら世間話に花を咲かせている。
子供たちと言えば、境内に出ている出店で品定めに夢中である。
水飴を食べずに白くなるまでこねくり回している者、買ったセルロイドのお面を頭に被り、口元をべとべとにしながら杏飴を舐めている小さな子供、ブリキで出来た"カン鉄砲"をバンバンと打ち合いながら遊んでいる子供など、鎮守の杜は子供たちのざわめきに包み込まれていた。
天を突くような甲高い笛の音が鎮守の杜に響き、拝殿の上では舞が始まった。
いよいよ、みっちゃんの父ちゃんの出番、"岩戸の舞"の始まりである。
拝殿正面の格子窓にはシデと榊が飾られ、丸い鏡の上には"岩戸"に似せて作られた三尺、四尺程の楕円をした"張りぼて"が掛けられている。
そして、紫地の装束に襷を掛け黒の袴を穿いてシャグマの冠り物と"タヂカラオ"の怖いほど勇壮なお面を付け、手には剣を持って太鼓と笛に合わせて登場するみっちゃんの父ちゃんの勇姿には私達子供さえも憧れた。
拝殿の前に立ち、甲高い笛と腹の底に響くような太鼓に合わせて舞う様は勇壮であり、雄渾ともいえた。
特に岩戸を開く場面で、格子窓に掛けられた岩戸を両手で持ち上げて力強く舞う場面は、この神楽三十六座の中でのクライマックスでもあった。
(春の雑木林より)

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懐かしいエッセイ 太々神楽(一)

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菜の花の咲き乱れる農道を窓を全開にして走っていると何処からかお囃子が微かに聞こえてくる。
あれ!春祭りかな。
お囃子のする方へ車を走らせるとこんもりとした雑木林の中に小さな神社が見えてきた。
神社の境内には近隣の人達が集まり神楽殿を取り囲んでいる。
神楽殿には、白装束に烏帽子を付けた人達が笛や太鼓を激しく打ち鳴らしていた。
そして、神楽殿の中央では古そうな装束にお面を被った舞手がお囃子に合わせて舞っている。
神社の鳥居脇に植えられた数本の桜は、薫風に吹かれてひらひらと舞散り始めていた。

太々神楽(一)春祭りの想い出

今年は例年になく、遅い梅と早い桜の開花がほぼ一緒となり、三月下旬ごろから両方の花を一緒に楽しむ事が出来た。
この時期外れの現象は、今地球規模で問題となっているCo2ガスによる地球温暖化現象の一つの現れなのかもしれない。
いわば、近世に於ける人類のエゴによる厳しい"ツケ"の現れではないかと思う。
このままでいけば近い将来、日本の美しい四季の移り変わりを楽しむ事が出来なくなってしまうのではないだろうか。
私は、雪を被ったような満開の桜の木の下にシートを広げ、ただ一人愛妻弁当を食べながらそんな事を考えていた。
腹の皮が突っ張ってくると、何故か瞼の皮が緩んでくる。
満開を過ぎた桜は時折の風に乱れ、まどろむ私の顔に散りてくる。
"春うらら、水車、停車す、水底に"
何故か、こんな言葉が脳裏に浮かんだ。
数十年前、高校時代に数学の先生から教わった三角関数の覚え方である。
しかしである、三角関数はいずれにしても、今、まさにこの言葉の如く春爛漫、春うらら・・・・。
"ピー、ピーッ、ピーヒャララーッ"
何処からともなく春まつりであろうか笛の軽快なリズムが風に乗って微かに聞こえてくる。
神社

「とっちゃん、今日だいだい見に行ぐんだんべ!」
「ああ、いぐよっ!みんなくんだんべから。」
「みっちゃんもいぐんだんべ!」
「おれ、わがんねぇ。」
「小遣いねえし、かぁちゃんに銭もらえっかどうかわかんねぇから。」
「だいじょうぶだよ、みっちゃん。」
「今日はお祭りだし、かぁちゃんに言えば幾らかもらえるんじゃねぇか。」
「ましてや、みっちゃんのとおちゃん今日の主役だかんなぁ~。」
「とっちゃんは、いぐらぐれぇ持っていぐんだい!」
「おれも、小遣いねぇんだよ。」
「かあちゃん幾らくれっかわかんねけど、もらった銭で何か買うべと思ってんだ。」
「とっちゃん、今日何時ごろ行ぐ!」
「十時頃でいいんじゃねぇか。」
「ほんじゃ、その頃"ちんち様"の登リ口で待ちあわせっぺ!」
昭和30年代後半、私が子供の頃の友人との会話である。
今日四月三日は、年に一度我が部落で太々神楽(だいだいかぐら)が上演される日である。
私たちはこのお祭りを"だいだい"と呼び、何の娯楽もなかった当時一番の楽しみでもあった。
太々神楽が奉納される神社は東護神社と言われ、部落から1キロ程離れた小高い山の天辺に鎮座していた。
私たちは普段"ちんち様"と呼んでいた。そこは小高い杉山の天辺にあり、人家のない山裾から神社へは薄暗い石段と山道を15分程登っていかなければならなかった。

神社

遊びに行くには寂しすぎる場所でもあり、祭りの日以外は殆ど行った事のない神社でもあった。
しかし、山の西側と北側の斜面は雑木山となっており、秋には"おとり"を持って鳥を追いかけた場所であった。
また、小さい頃は母と一緒に肥料にする為の"木の葉"をさらい集めた懐かしい山でもあった。
祭りの日、鎮守の杜は氏子の人達やお祭り当番の人達、神社の境内に出店を張る店の人達、そして私達、近郷近在の見物人で朝から賑わっていた。
神楽を奉納する人達や部落のお祭り当番の人達は、氏子の人達と神楽に使用する笛や太鼓、衣装やお面を納めた長持ちを担いで山に登り、前日から慌しく準備に追われていた。
午前十時、"ちんち様"の山裾にある鳥居の前でみっちゃんが待っていた。
桜の木の下の出店には、子供を負ぶったおばちゃんや子供たちが群り"ぶっかき飴"や"酢イカ"、水あめ"などを買っている。
「みっちゃん、かあちゃん銭くれたけっ!」
「うん、かあちゃんにせがんで幾らか貰ってきた。」
「とっちゃんはどうだった。」
「俺も、かあちゃんから貰ってきた。」
「どうする、とっちゃんここで何か買ってくけ!」
「後でいいんじゃねぇか、あんまりめぼしい物ねぇから上へ行ってからかぁべよ。」
私とみっちゃんは、二軒の出店を横目で見ながら真新しい注連縄の掛かった鳥居をくぐり抜けた。
数十段ある石段を登り切ると、杉林の中に狭い山道が山頂へと続いている。
途中では登り疲れて"地べた"に腰を下ろし、キセルをふかしながら休んでいる人、赤ん坊におっぱいを飲ませている人もいる。
私たちは早足でそれらを追い越し、もう始まっているであろう神社の神楽殿へと急いで行った。
山頂には太い杉の大木が鬱蒼として、昼間でも薄暗い。
東護神社は、その杉の大木の中に本殿が一棟建っているだけである。
ここには神楽殿が無く、本殿の拝殿(間口三間、奥行き二間)で太々神楽を奉納していた。
祭りのときは拝殿の三方の雨戸を全部外し、本殿の左側に外した雨戸で周りを囲み、莚(むしろ)を敷いて楽屋として使っていた。
楽屋の中では、お祭り当番の人達が白い割烹着を着て湯をわかしたり持ち寄った赤飯や煮つけ物などを舞人やお囃子方に振舞っている。
舞人たちは車座になり、自分の出番が来るまで食事をしたりしているが、殆どの人たちは一升瓶を傾けながら茶わん酒を呷っている。
すでに、かなり酔いのまわっている人もいて中は賑やかだった。
外に造られた急拵えのカマドでは、煮付けの鍋が掛けられ美味そうな匂いを境内に漂わせている。
拝殿は、四方を幣の下がった細いしめ縄で囲み、そこを神聖な場所としていた。
拝殿の右側には、太鼓や笛等の囃子方が数人衣装を調えて正座している。
正面の奥には大きな御幣が三本飾られ、その脇に正装したした神主が固い面持ちで座っている。
左側の楽屋の入り口には、粗末な緞帳が掛けられそこから舞人たちが出入りしていた。
そして、拝殿中央の神聖な場所で太々神楽が演じられるのである。
(春の雑木林より)

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懐かしいエッセイ 缶けり

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しゃくなげ

我が家の庭の隅っこでしゃくなげが咲いています。
庭といっても猫の額ほど。
邪魔だ、邪魔だと庭の隅の方に追いやられ、日陰の中で鮮やかなピンクに染め上げている。
しゃくなげと言えば、40年前の記憶が蘇る。
その頃、山歩きに凝っていて週末になるとデイパックを背負い栃木県内の山を歩き回っていた。
多分6月ごろだったかな、奥日光の中禅寺湖を一人で一周した覚えがある。
歌が浜から4・5時間ぐらい掛けて湖岸を歩いたのだが、日曜日にも拘わらず行き会ったのは一人だけ。
湖岸に打ち寄せる波の音が何故か寂しく、一人歩きの空しさと侘しさを感じた。
そして、その空しさ侘しさを打ち消すようにピンクに染まったしゃくなげが満開に咲き乱れていたのを思い出す。

缶けり(懐かしい想い出)

私の寝床に潜り込んでいた飼猫の"ミ-"ががさがさする音を聞き寝床からのっそりと抜け出して、台所へ駆けて行った。
"ミ-"は妻の足元に纏わり付き、餌がほしいのか"ミャ-、ミャ-"とうるさい。二階からこれまたうるさい足音をたてて、娘が階段を下りてきた。
「ちか。ミ-に餌あげて。」妻の声がする。今の猫は口が肥えているせいか"ぶっかけご飯"など見向きもせず、缶ずめの餌しか口にしない。とても贅沢である。しかし、贅沢にしてしまったのは私たち人間様なのであるから、猫のせいばかりには出来ない。
そんな事を寝床でウツラウツラしながら考えていると、表で缶ずめの缶を蹴っ飛ばす音が聞こえた。
「からぁーん、からから、からぁーん。」

「きょうは"缶けり"やるべ。じゃんけんで鬼きめっぺ。」お寺の境内から"缶けり"遊びの話し声が聞こえてくる。
「これでよかんべぇ~。」 一人が魚の匂いがする空き缶を何処からか持ってきた。
それを6、7人集まっている中央に置き、鬼を決めるためにじゃんけんを始めた。なかなか決まらない。
「二手に分かれて、きめっちぃったほうが早いんじゃねぇ~け。」「ほおだなぁ~、ほんじゃぁ~二手にわかれろやぁ~。」
そういいながら二組に分かれてじゃんけんを始めた。
「じゃんけんちぃ~っ、ああ、おら勝った。」 漸く鬼が決まった。
「ほんじゃ、やっちゃん鬼な。向こう向いてろや。」その中の大将格が、土の上に置いた空き缶を力いっぱい蹴っ飛ばした。
するとその周りから、蜘蛛の子を散らすように隠れ場所を探しに一斉に駆け出した。
鬼はといえば、蹴られた缶を拾ってきて置き、その上に足を置いて目をつぶり五十数える。
それから隠れた人を見つけ出して、見つける度に「何々ちゃん、めっけ。」と言って缶を踏むのである。
しかし鬼が隠れた人を探している間に缶を蹴られてしまうと、今まで見つかってしまつた人も缶を蹴られたと同時にまた隠れてしまうのであり、鬼も缶より遠くに行けないし、また隠れたほうも缶を蹴るためにはあまり遠くに隠れられない訳である。
であるからして、隠れるほうは体が入る所ならば何処にでも突っ込んで隠れた。
わらぼっちの中、枯れ柴の積んである中、もみがら入れの中、屋根や木の上など猿と同じである。しかしこれがスリルがあって面白かったのかもしれない。地面に寝っころばって、その上に落ち葉を掛け忍者の様に隠れた輩もいた。
私が印象に残っているのは、お寺の前に民家がありそのうらの杉林に隠れたことがあった。
そこには古い土蔵がありその裏には柴が積んであった。
私はそこに潜り込み、見つからないように"じっ―"としていた。
枯れ切った柴のカビたような匂いが鼻をつく。
時折、「ゴーッ」という杉林を鳴らす風の音が静寂を破った。
"サラ、サラ、サラ"と枯れた杉の葉が風に舞い、私の頭の上に落ちてくる。
土蔵の壁をみると小さな隙間があるではないか。そこに目を付けて中を覗き込む。
昔の家具やら箱に入ったものが整然と積んであった。
その中で古びた長持(衣類を入れておく箱)が目にとまった。
"シ-ン"として時が止まったような薄暗い土蔵の中にひっそりと置かれている長持ちからは"鎧を着け血の付いた太刀を持った武者"が今にも"ガサッ"と蓋を開けて出てきそうで怖くなり駆け出していった思い出がある。
そうして隠れながら缶の近くまで来て、鬼が離れた隙をみて缶を蹴っ飛ばすのである。
しかし、年長者が鬼になると空き缶の中へ土や石などを詰めておき、蹴られてもあまり飛ばないように細工する輩もいた。
飛ばなければ、早く元の位置に缶を置け、皆が隠れる前に「何々ちゃん、めっけ。」と言って早く見つけてしまえるからである。
確か一番最初にみつかった者が鬼になったと思う。だから、足の遅い者や年少者などはしょっちゅう鬼ばかりやっていた。
そんな訳だから、服はよごれっぱなし、頭や顔などはごみやほこりで真っ黒。そんな風体で家に帰っても怒られはしなかった。
土間で"ばさばさばさ"と埃を落とし、井戸で軽く顔と手を洗い、それでご飯を食べたと思う。衛生上良くなかったが大した病気もしなかった。
しかし、手や足などは"しもやけとあかぎれ"でいつも痛かった思いがある。"しもやけ"などは、お爺ちゃんが煙管のタバコの受け皿の熱い所を患部に当ててくれた思いがある。それで、しもやけが治ったかどうかは不明だが。熱かったが気持ちは良かった。
"あかぎれ"は母が寝るときに"もものはな"をつけてくれた。
夕暮れになると春とはいえ風が冷たい。早々と木の雨戸を閉める音が聞こえてくる。
「あしたもまた、やっぺよな。」などと言いながら雨戸から漏れる淡い光の中に帰っていった。

そんな昭和30年頃の懐かしい遊びが、うとうとしている私の脳裏に浮かんでは消えていった。
(春の雑木林より)

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気になる記事 地域の魅力をARで(栃木県)

下野薬師寺

今日の読売新聞栃木版に「地域の魅力ARでPR」という記事が紹介されていた。
地域の魅力などの観光情報を紹介する方法としてAR(拡張現実)技術を活用する取り組みに注目が高まっているそうです。
AR(拡張現実)技術というのは、現実の物や景色の画像にデジタル画像を重ねて表現する技術。
スマフォなどの端末に専用のアプリケーションをダウンロードし、写真やイラストを読み込むだけで現実風景とデジタル画像を組み合わせた動画などを見ることが出来る。(読売新聞栃木版より抜粋)
県内では、那須町の観光協会が始めた「プロジェクト9b」で殺生石(国指定名勝史跡)や芦野の遊行柳、駒止の滝など町内9ヵ所の観光スポットで利用できるそうです。
那須町観光協会 オフィシャルサイト
プロジェクト9b オフィシャルサイト

下野薬師寺

梅の花咲く3月に栃木県下野市薬師寺に行ってきました。
広い敷地には白梅と紅梅が咲き乱れ、復元された下野薬師寺跡下野薬師寺歴史館に寄ってきました。
上は、下野薬師寺跡の写真ですがここでも「VR東の飛鳥」としてAR(拡張現実)・VR(仮想現実)を使い国指定史跡下野薬師寺跡の建物復元等をスマフォなどの端末でパノラマ画像を見ることが出来るそうです。

下野薬師寺 下野薬師寺

上と下左は、復元された回廊。
下右は、安国寺六角堂。

下野薬師寺 下野薬師寺

下野薬師寺 下野薬師寺

下野市 オフシャルサイト
下野市文化財バーチャルミュージアム オフィシャルサイト

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デスティネーションキャンペーン in 栃木(栃木県)

栃木県DC

桜咲き、菜の花に埋め尽くされた春。

春うらら、水車停車す水底に

春爛漫、まさに今の時期にピッタリの言葉かと想い出してしまう。
私が高校の時、数学の先生から教わった三角関数の覚え方です。

4月1日から大型観光企画「デスティネーションキャンペーン(DC)」が栃木県で開幕しました。
閉幕の6月31日まで栃木県内各地でいろいろなイベントが企画されるそうです。
上の県民だよりで紹介されている日光の御朱印の旅お・も・て那須手形での温泉三昧などなど。
春から初夏に掛けての楽しみ満載のキャンペーンが始まりました。
私としては、日光御朱印の旅に挑戦かな?
栃木県内のダム施設巡りや日帰り温泉などは今迄に楽しんだし。
JR東日本の大人の休日倶楽部で吉永小百合さんが紹介している奥日光リゾート編に出てくる英国大使館別荘記念公園へはまた行きたいな。
「本物の出会い栃木」デスティネーションキンペーン オフィシャルサイト

市貝芝桜公園 鹿沼市千手院

上左は、市貝町芝桜公園
上右は、鹿沼市千手山公園の紫雲山千手院

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新年度のお勤め

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スイセン

三月も後二日で終わり。
漸く春めいてきた。
今年の桜の開花は例年より早いそうだ。
栃木県南部に位置する我が家付近の桜もほぼ満開。
週末ごろには散り始めるのではないだろうか。
我が家の庭に咲いたスイセンも満開。
可憐に咲く二輪を花瓶に挿してみた。

今年の新年度から自治会の班長だ。
早速、前の班長さんから引継ぎ書類を頂いた。
まずは、自治会費の徴収。
そして、4月始めには自治会の中にある神社の春祭り。

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一握の砂(石川啄木)

石川啄木

25日の読売新聞日曜版の名言巡礼に石川啄木を紹介する記事が載っていました。
石川啄木は明治19年(1886年)2月10日岩手県南岩手郡日戸村で生まれました。
父は曹洞宗常光寺の住職で啄木の上には二人の姉がいました。
その後、渋民尋常小学校から旧制の盛岡中学校に進学して作家野村胡堂金田一京助らと出会い文学の世界を目指しました。
しかし、中学校を中退した後岩手県渋民村に戻ったが1年後には北海道を放浪し病苦と貧苦にあえぎ1912年に肺結核で死去した。

若い頃の私は、石川啄木八木重吉などの詩集が好きでよく読んでいた覚えがあります。
特に、1910年に出版した「一握の砂」が好きで暗誦出来るほど読んだ覚えがある。
中でも特に好きなのは有名な下の四詩でしょうね。
母のことを想い出したり、故郷の山河を想い出したりと。

たはむれに母を背負ひて
そのあまりの軽きに泣きて
三歩あゆまず

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
じっと手を見る

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく

ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
(青春の詩集 石川啄木詩歌集より)

下は、私が今でも時々訪れる栃木県鹿沼市上南摩地区
上南摩に行っては幼い頃見た懐かしい故郷を想い出していました。
しかし、このような光景は今は見ることが出来ません。

上南摩にて 上南摩にて

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懐かしいエッセイ 老木の春

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桜

栃木県北部の桜の開花は、まだちょっと先のようです。
写真は2010年ごろ残雪の日光連山をバックに撮った桜並木です。
宇都宮市高間木地区の親水公園の土手には、昔植えられた桜並木が春爛漫と咲き誇っていました。

桜 桜

土手の所々に老木が数本残っており、今にも枯れそうな老木にも数輪の花が付いていました。

桜 桜

老木の春(八重桜の想い出)

「あの八重桜、どうしたかなぁ~。」
「丁度今頃、割き始めるんだよなぁ~。」
そんなことを呟き、五月の風を受けながら車を走らせる。
周りの山々は淡い緑と言うよりも白に近い芽吹き色に輝き、斑に見える黒木山と眩しいくらいのコントラストを作っている。
そして、水が張られた田んぼはまるで鏡でも置いたかのように山々の芽吹きを映し出している。
車を置いて想い出の場所へと行って見た。
堤の桜はすでに終わり、八重の老木は枯れ果てた姿で数本だけが残されていた。
枯れ始めた老木の根元からは数本の細い枝が出ていた。
そして、そこには数輪の八重が寂しそうに花を付けていた。
それは、まるで老いてゆく自分に残された全ての精力を使いきって咲いているかのようにも思えた。
そして、その健気な姿は次世代へ残そうとする生命力の強さをまざまざと見た思いであった。
その姿は、かつて八重桜並木に盛隆を誇っていた頃の自分を想い出しているかのようでもあった。
しかし、その面影はもうない。
(春の雑木林より)

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