実りの秋と言うか収穫の秋である。
毎年買っている農家から電話が入った。
「今年は米、何俵いる。」
「今年は、まだ一俵残っているから四俵でいいかな。」
「今年は、幾らで譲ってもらえるんだい。」
「去年と同じ値段でいいよ。」
「ほんじゃ、近いうち取りに行くから旨いコシヒカリで四俵頼むよ。」
「ほんじゃ、用意して待ってるから。」
「それから、どうしたい腰の具合は?」
「だいぶ、よくなったよ。だけど米袋は重くて持てねえみたいだ。」
「だいじょぶだよ。俺が車に載せてやっから。」
「ほんじゃ無理しねえで取りに来なよ。」
朝の電話でのやり取りである。
そんな電話を切りながら、遠い昔の想い出が蘇ってくる。
稲刈りの想い出 秋
"ザック、ザック、ザック"
黄金色に輝く稲田に、時折、腰に手をやりながら、ムックリと背を伸ばす。
歯切れの良い音が止まる。
「さぁ-て、一服するべぇ!」
遠くから、手拭いで"ほぉかぶり"した父の声がする。
30年程前までは、何処にでもみられた手刈りの稲刈り風景である。
刈った稲束に座りながら、母が稲刈り鎌で器用に"柿"をむく。
魔法瓶に入ったお茶を飲みながら"さつまいも"の蒸かしたのをほおばる。
父は横を向いて、たばこの煙をくゆらせながら刈り取ったばかりの稲束を見ている。
「今年もいい出来だなぁ!」
うれしそうに母と話している。
稲束の重さでそれが分かるのである。
私はといえば、「早く雨でも降んねいかなぁ-」
などと心の中で思っている。
雨が降れば、仕事が中止になるからである。
「さ-て、はじめっぺ!」
「俺は、"ハゼ掛け"作っから2人で早く刈っちゃえよ!」
「早く刈んねえと、おわんねえぞ!」
父が怒鳴る。
私は、高い青空を見上げながら痛い腰を上げ、1株、2株、3株と手でつかみながら稲刈りを始める。
3時の"こじはん"(3時の休み)の頃には稲刈りも終わり、今度は刈り取った稲束を、"ハゼ棒"
に掛ける準備である。
ハゼ掛けにした米は、自然乾燥なので炊きあがりが非常に美味しい。
母が稲束をまるき(藁で縛る)、私がそれを両手で抱えて"ハゼ掛け"まで運ぶ。
これも一仕事である。
「早く持ってこい!」
父が怒鳴る。
おやじは、いいなぁ楽で! などど思いながら稲束を運ぶ。
それを父は、1束、1束"ハゼ"に掛けてゆく。
西日が傾く頃には仕事も終わり、田んぼの黒い土に残った稲株が冷たそうに西日に輝いている。
そんな遠い昔の"稲刈り"を思い出す。
(秋の雑木林より)
稲架刺して どかっと地べたへ 老父かな
2003年ごろに私が詠んだ一句です。
季語は稲架(秋) 刈り取った稲の束を乾燥させる為の木組み
風のつぶやきより。
※ 画像は写真ACより
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