懐かしいエッセイ 缶けり

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しゃくなげ

我が家の庭の隅っこでしゃくなげが咲いています。
庭といっても猫の額ほど。
邪魔だ、邪魔だと庭の隅の方に追いやられ、日陰の中で鮮やかなピンクに染め上げている。
しゃくなげと言えば、40年前の記憶が蘇る。
その頃、山歩きに凝っていて週末になるとデイパックを背負い栃木県内の山を歩き回っていた。
多分6月ごろだったかな、奥日光の中禅寺湖を一人で一周した覚えがある。
歌が浜から4・5時間ぐらい掛けて湖岸を歩いたのだが、日曜日にも拘わらず行き会ったのは一人だけ。
湖岸に打ち寄せる波の音が何故か寂しく、一人歩きの空しさと侘しさを感じた。
そして、その空しさ侘しさを打ち消すようにピンクに染まったしゃくなげが満開に咲き乱れていたのを思い出す。

缶けり(懐かしい想い出)

私の寝床に潜り込んでいた飼猫の"ミ-"ががさがさする音を聞き寝床からのっそりと抜け出して、台所へ駆けて行った。
"ミ-"は妻の足元に纏わり付き、餌がほしいのか"ミャ-、ミャ-"とうるさい。二階からこれまたうるさい足音をたてて、娘が階段を下りてきた。
「ちか。ミ-に餌あげて。」妻の声がする。今の猫は口が肥えているせいか"ぶっかけご飯"など見向きもせず、缶ずめの餌しか口にしない。とても贅沢である。しかし、贅沢にしてしまったのは私たち人間様なのであるから、猫のせいばかりには出来ない。
そんな事を寝床でウツラウツラしながら考えていると、表で缶ずめの缶を蹴っ飛ばす音が聞こえた。
「からぁーん、からから、からぁーん。」

「きょうは"缶けり"やるべ。じゃんけんで鬼きめっぺ。」お寺の境内から"缶けり"遊びの話し声が聞こえてくる。
「これでよかんべぇ~。」 一人が魚の匂いがする空き缶を何処からか持ってきた。
それを6、7人集まっている中央に置き、鬼を決めるためにじゃんけんを始めた。なかなか決まらない。
「二手に分かれて、きめっちぃったほうが早いんじゃねぇ~け。」「ほおだなぁ~、ほんじゃぁ~二手にわかれろやぁ~。」
そういいながら二組に分かれてじゃんけんを始めた。
「じゃんけんちぃ~っ、ああ、おら勝った。」 漸く鬼が決まった。
「ほんじゃ、やっちゃん鬼な。向こう向いてろや。」その中の大将格が、土の上に置いた空き缶を力いっぱい蹴っ飛ばした。
するとその周りから、蜘蛛の子を散らすように隠れ場所を探しに一斉に駆け出した。
鬼はといえば、蹴られた缶を拾ってきて置き、その上に足を置いて目をつぶり五十数える。
それから隠れた人を見つけ出して、見つける度に「何々ちゃん、めっけ。」と言って缶を踏むのである。
しかし鬼が隠れた人を探している間に缶を蹴られてしまうと、今まで見つかってしまつた人も缶を蹴られたと同時にまた隠れてしまうのであり、鬼も缶より遠くに行けないし、また隠れたほうも缶を蹴るためにはあまり遠くに隠れられない訳である。
であるからして、隠れるほうは体が入る所ならば何処にでも突っ込んで隠れた。
わらぼっちの中、枯れ柴の積んである中、もみがら入れの中、屋根や木の上など猿と同じである。しかしこれがスリルがあって面白かったのかもしれない。地面に寝っころばって、その上に落ち葉を掛け忍者の様に隠れた輩もいた。
私が印象に残っているのは、お寺の前に民家がありそのうらの杉林に隠れたことがあった。
そこには古い土蔵がありその裏には柴が積んであった。
私はそこに潜り込み、見つからないように"じっ―"としていた。
枯れ切った柴のカビたような匂いが鼻をつく。
時折、「ゴーッ」という杉林を鳴らす風の音が静寂を破った。
"サラ、サラ、サラ"と枯れた杉の葉が風に舞い、私の頭の上に落ちてくる。
土蔵の壁をみると小さな隙間があるではないか。そこに目を付けて中を覗き込む。
昔の家具やら箱に入ったものが整然と積んであった。
その中で古びた長持(衣類を入れておく箱)が目にとまった。
"シ-ン"として時が止まったような薄暗い土蔵の中にひっそりと置かれている長持ちからは"鎧を着け血の付いた太刀を持った武者"が今にも"ガサッ"と蓋を開けて出てきそうで怖くなり駆け出していった思い出がある。
そうして隠れながら缶の近くまで来て、鬼が離れた隙をみて缶を蹴っ飛ばすのである。
しかし、年長者が鬼になると空き缶の中へ土や石などを詰めておき、蹴られてもあまり飛ばないように細工する輩もいた。
飛ばなければ、早く元の位置に缶を置け、皆が隠れる前に「何々ちゃん、めっけ。」と言って早く見つけてしまえるからである。
確か一番最初にみつかった者が鬼になったと思う。だから、足の遅い者や年少者などはしょっちゅう鬼ばかりやっていた。
そんな訳だから、服はよごれっぱなし、頭や顔などはごみやほこりで真っ黒。そんな風体で家に帰っても怒られはしなかった。
土間で"ばさばさばさ"と埃を落とし、井戸で軽く顔と手を洗い、それでご飯を食べたと思う。衛生上良くなかったが大した病気もしなかった。
しかし、手や足などは"しもやけとあかぎれ"でいつも痛かった思いがある。"しもやけ"などは、お爺ちゃんが煙管のタバコの受け皿の熱い所を患部に当ててくれた思いがある。それで、しもやけが治ったかどうかは不明だが。熱かったが気持ちは良かった。
"あかぎれ"は母が寝るときに"もものはな"をつけてくれた。
夕暮れになると春とはいえ風が冷たい。早々と木の雨戸を閉める音が聞こえてくる。
「あしたもまた、やっぺよな。」などと言いながら雨戸から漏れる淡い光の中に帰っていった。

そんな昭和30年頃の懐かしい遊びが、うとうとしている私の脳裏に浮かんでは消えていった。
(春の雑木林より)

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