懐かしいエッセイ 遠い夏の日の想い出

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お寺

遠い夏の幼い日の想い出(夏の雑木林より)

久しぶりの青空!
庭の片隅の木陰に椅子を持ち出し、冷たいビ-ルを飲む。
久しぶりの暑さと疲れから酔いが回る。麦わら帽子を顔に掛け、すこし微睡む。
蝉の忙しげな鳴き音が微睡みの中で、三十数年前のお寺の裏山で鳴く蝉と交錯し、あっ-い夏の思い出を甦らせる。

夏休みになるとお寺は朝はラジオ体操の会場であり、昼間は宿題の勉強の教室になる。(?)
本堂から離れた所に小さな位牌堂がある。太い杉木立の中にあり、昼でも薄暗く、そこに机を並べ数人で宿題をするのである。
真夏でもひんやりしていて勉強するには快適な場所であった。(?)
しかし今振り返ると、うるさい蝉時雨の中、どのように勉強したか覚えておらず、夏の休みの終わりに慌てたことを考えると勉強した形跡はないのである。
ただ、家に居るよりもそこが涼しかったから、皆のたまり場となったのである。
今のようにク-ラ-、扇風機など無い、当然生理的にも涼しい場所を見つけて集まって来たのだろう。
でもあのときの蝉時雨はかなりうるさく、暑さが余計に増したようだった勉強など出来たのだろうか。
昼頃になると、自転車の荷台に青い箱を乗せのぼりを立てて、"アイスキャンディ-屋"が鐘を鳴らしてやってくる。
たしか一本五円だったと思う。箱の小さな蓋から出すときの"ひんやり" した冷気に涼しさを感じ、あの割り箸までしゃぶった"つめた-ぃ"アイスキャンディ-が懐かしい。
午後になると当然のことながら川の"カッパ"に変身するのである。

お寺

夏休みに入ると朝9時のころから夕方4時のころまで友達と川へ泳ぎに行くのである。それも雨の降る日以外は毎日である。
朝は、今でも行われている"ラジオ体操"にいって"はんこ"を押してもらう。
そのためには、朝飯など食っている時間がない。起きるだけで精一杯、顔など洗わない、当然歯なども毎日磨かない。
帰ってきてからの朝飯がうまかった。おかずは"なす"のぬかずけと" みょうが"のみそ汁だけ農家なので毎朝同じ(昼も同じ)であった。
しかしうまかったなぁ-。
それから、家の手伝い。主にかいばきり(牛を飼っていたので、その餌、わらのみじん切り)でありそれを適当におわす。
頭の中はもう川の中である。
自転車をこいで川に向かい、雑木林の中で海水パンツにはきかえる。
あの頃の海水パンツは白いビニ-ルのベルトが付いていて何年も使っているので留め金が錆ていてよく止まらなかった。その時は縄で縛った。
また、学校帰りなどはパンツを持っていないので、手拭いを縄で褌にして泳いだ覚えもあった。
10時頃になると部落中のガキどもで、河原も賑やかだった。
石の上で甲羅干しするもの、深場で潜る者、"ヤスつき"する者....
その頃はやった遊びで面白いのがあった。
それは、泥(川底の粘土質が最高)でソフトボ-ル位の玉を造り高さ40cm位の滑り台を砂で作って転がしてぶつけ割れた方が負けである。
いろいろ工夫した覚えがあった。
十分に遊び、雑木林でパンツにはきかえる時の雑草の草いきれが、今の夏の雑木林の草いきれとダブってくる。
家に帰ると、風呂の水くみが待っている。
手こぎポンプから風呂桶までブリキの筒で通し、桶いっぱいになるまでポンプを漕ぐ。それも日課であった。
夜になると、泳ぎ疲れ、いや、遊び疲れで寝てしまう。
それが毎日であるから宿題などする暇がない。
夏休みの終わりの2.3日前まで気が付かない。
よく姉に手伝ってもらったものである。
日記などは以前のことが忘れてしまって、毎日同じ事が書いてあり天気などはあてずっぽうである。

「おとうさん、ごは-ん。」耳元で娘の声がする。微睡みの中の出来事を娘に話しても理解出来ないだろう。

宿題

そんな誰でもがあるような思い出が"夏の雑木林"にはある。
遠い昔の夢にまで見た記憶が今でも甦る。
私が尊敬している "谷内六郎画伯 "の描いた"宿題"(1951年)を思い出す。(上画像)

上の2枚の写真は、私が小学生の頃の村のお寺。
そのお寺の境内で朝はラジオ体操。
午前中は涼しいお寺の位牌堂で夏休みの宿題を。
そして、午後はカッパに変身。

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