懐かしいエッセイ 太々神楽(一)

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菜の花の咲き乱れる農道を窓を全開にして走っていると何処からかお囃子が微かに聞こえてくる。
あれ!春祭りかな。
お囃子のする方へ車を走らせるとこんもりとした雑木林の中に小さな神社が見えてきた。
神社の境内には近隣の人達が集まり神楽殿を取り囲んでいる。
神楽殿には、白装束に烏帽子を付けた人達が笛や太鼓を激しく打ち鳴らしていた。
そして、神楽殿の中央では古そうな装束にお面を被った舞手がお囃子に合わせて舞っている。
神社の鳥居脇に植えられた数本の桜は、薫風に吹かれてひらひらと舞散り始めていた。

太々神楽(一)春祭りの想い出

今年は例年になく、遅い梅と早い桜の開花がほぼ一緒となり、三月下旬ごろから両方の花を一緒に楽しむ事が出来た。
この時期外れの現象は、今地球規模で問題となっているCo2ガスによる地球温暖化現象の一つの現れなのかもしれない。
いわば、近世に於ける人類のエゴによる厳しい"ツケ"の現れではないかと思う。
このままでいけば近い将来、日本の美しい四季の移り変わりを楽しむ事が出来なくなってしまうのではないだろうか。
私は、雪を被ったような満開の桜の木の下にシートを広げ、ただ一人愛妻弁当を食べながらそんな事を考えていた。
腹の皮が突っ張ってくると、何故か瞼の皮が緩んでくる。
満開を過ぎた桜は時折の風に乱れ、まどろむ私の顔に散りてくる。
"春うらら、水車、停車す、水底に"
何故か、こんな言葉が脳裏に浮かんだ。
数十年前、高校時代に数学の先生から教わった三角関数の覚え方である。
しかしである、三角関数はいずれにしても、今、まさにこの言葉の如く春爛漫、春うらら・・・・。
"ピー、ピーッ、ピーヒャララーッ"
何処からともなく春まつりであろうか笛の軽快なリズムが風に乗って微かに聞こえてくる。
神社

「とっちゃん、今日だいだい見に行ぐんだんべ!」
「ああ、いぐよっ!みんなくんだんべから。」
「みっちゃんもいぐんだんべ!」
「おれ、わがんねぇ。」
「小遣いねえし、かぁちゃんに銭もらえっかどうかわかんねぇから。」
「だいじょうぶだよ、みっちゃん。」
「今日はお祭りだし、かぁちゃんに言えば幾らかもらえるんじゃねぇか。」
「ましてや、みっちゃんのとおちゃん今日の主役だかんなぁ~。」
「とっちゃんは、いぐらぐれぇ持っていぐんだい!」
「おれも、小遣いねぇんだよ。」
「かあちゃん幾らくれっかわかんねけど、もらった銭で何か買うべと思ってんだ。」
「とっちゃん、今日何時ごろ行ぐ!」
「十時頃でいいんじゃねぇか。」
「ほんじゃ、その頃"ちんち様"の登リ口で待ちあわせっぺ!」
昭和30年代後半、私が子供の頃の友人との会話である。
今日四月三日は、年に一度我が部落で太々神楽(だいだいかぐら)が上演される日である。
私たちはこのお祭りを"だいだい"と呼び、何の娯楽もなかった当時一番の楽しみでもあった。
太々神楽が奉納される神社は東護神社と言われ、部落から1キロ程離れた小高い山の天辺に鎮座していた。
私たちは普段"ちんち様"と呼んでいた。そこは小高い杉山の天辺にあり、人家のない山裾から神社へは薄暗い石段と山道を15分程登っていかなければならなかった。

神社

遊びに行くには寂しすぎる場所でもあり、祭りの日以外は殆ど行った事のない神社でもあった。
しかし、山の西側と北側の斜面は雑木山となっており、秋には"おとり"を持って鳥を追いかけた場所であった。
また、小さい頃は母と一緒に肥料にする為の"木の葉"をさらい集めた懐かしい山でもあった。
祭りの日、鎮守の杜は氏子の人達やお祭り当番の人達、神社の境内に出店を張る店の人達、そして私達、近郷近在の見物人で朝から賑わっていた。
神楽を奉納する人達や部落のお祭り当番の人達は、氏子の人達と神楽に使用する笛や太鼓、衣装やお面を納めた長持ちを担いで山に登り、前日から慌しく準備に追われていた。
午前十時、"ちんち様"の山裾にある鳥居の前でみっちゃんが待っていた。
桜の木の下の出店には、子供を負ぶったおばちゃんや子供たちが群り"ぶっかき飴"や"酢イカ"、水あめ"などを買っている。
「みっちゃん、かあちゃん銭くれたけっ!」
「うん、かあちゃんにせがんで幾らか貰ってきた。」
「とっちゃんはどうだった。」
「俺も、かあちゃんから貰ってきた。」
「どうする、とっちゃんここで何か買ってくけ!」
「後でいいんじゃねぇか、あんまりめぼしい物ねぇから上へ行ってからかぁべよ。」
私とみっちゃんは、二軒の出店を横目で見ながら真新しい注連縄の掛かった鳥居をくぐり抜けた。
数十段ある石段を登り切ると、杉林の中に狭い山道が山頂へと続いている。
途中では登り疲れて"地べた"に腰を下ろし、キセルをふかしながら休んでいる人、赤ん坊におっぱいを飲ませている人もいる。
私たちは早足でそれらを追い越し、もう始まっているであろう神社の神楽殿へと急いで行った。
山頂には太い杉の大木が鬱蒼として、昼間でも薄暗い。
東護神社は、その杉の大木の中に本殿が一棟建っているだけである。
ここには神楽殿が無く、本殿の拝殿(間口三間、奥行き二間)で太々神楽を奉納していた。
祭りのときは拝殿の三方の雨戸を全部外し、本殿の左側に外した雨戸で周りを囲み、莚(むしろ)を敷いて楽屋として使っていた。
楽屋の中では、お祭り当番の人達が白い割烹着を着て湯をわかしたり持ち寄った赤飯や煮つけ物などを舞人やお囃子方に振舞っている。
舞人たちは車座になり、自分の出番が来るまで食事をしたりしているが、殆どの人たちは一升瓶を傾けながら茶わん酒を呷っている。
すでに、かなり酔いのまわっている人もいて中は賑やかだった。
外に造られた急拵えのカマドでは、煮付けの鍋が掛けられ美味そうな匂いを境内に漂わせている。
拝殿は、四方を幣の下がった細いしめ縄で囲み、そこを神聖な場所としていた。
拝殿の右側には、太鼓や笛等の囃子方が数人衣装を調えて正座している。
正面の奥には大きな御幣が三本飾られ、その脇に正装したした神主が固い面持ちで座っている。
左側の楽屋の入り口には、粗末な緞帳が掛けられそこから舞人たちが出入りしていた。
そして、拝殿中央の神聖な場所で太々神楽が演じられるのである。
(春の雑木林より)

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