写真に句を添えて(懐かしい想い出)

男体山を望む

今日は何の日かと思い暦をめくってみた。
2月16日は旧暦のお正月(一月一日元旦)と暦にあった。
そうか~。今日は二度目のお正月か~。
と思いながら遠い昔のお正月を想い出す。

「みかん何個もらえるべ!」
「三個ぐれえじゃねえか!」
「ほだんべなぁ、そのくれぇだんべぇ。楽しみだな!」
登校日、学校へ行って年の初めを歌い、正月のお祝いに"みかん"をもらってくるのである。
その当時は"みかん"がかなり高価であるため、めったに口には出来なかった。
今の様に段ボ-ル箱詰めではなく、杉板の化粧箱に品良く収められていた。
その"みかん"を家まで大事に持って帰り分け合って食べた、今ほど甘くなかったような気憶がする。
冬休みが終わり、二月中旬になると待ちに待った本当のお正月がやって来た。
旧の正月である。(陰暦)二日前頃から正月の準備で忙しく、村中があわただしくなる。
父は門飾り、これは木戸に杭を打ち松と竹を縄で縛って両側に飾り、また"しめ飾り"は家々によってそこの主が藁を編んで作り、玄関と神棚に飾りつけた。
午後になると、家族総出で餅つきである。
母は"へっつい"(かまど)でもち米を蒸かし、父が欅作りの臼でつきあげた。その頃は二斗ぐらいついた。
臼に入れたばかりの蒸かしたての"アッアッ"のもち米は一番うまかった。父によく叱られた。
つきあがるたびに、母と姉たちがお供え餅やのし餅にしていく。
夕方になると、最後についた餅をきな粉餅、大根おろし餅にし乾麺を茹でてそれに鰹節と醤油をかけただけの"あっあっ"の"にゅうめん"食べた。
元日、父と母は朝早く起きて正月祝いの用意である。
おぞう煮、キンピラ、煮つけ、"さがんぼ"の煮こごりで、今のおせち料理には程遠かった。
しかし当時としては大変なご馳走であった。何しろ正月にしか食べられなかったからである。
父は門松にぞう煮を供え、神棚にも酒を供えて拍手を打ち新年の挨拶をしていた。だだそれだけの正月であった。
今の様に豪華なおせち料理を食べるわけでもなし、お年玉を貰うわけでもなかった。
かなりゆっくりと時間が過ぎて行ったように思える。
そうでなければその頃の出来事をひとつ、ひとつ覚えてはいなかったのではないだろうか。
(冬の雑木林 お正月より)

トップの写真は昭和47年ごろ撮った冬の女峰山。
雪を被った日光連山を見ながら遠い昔の冬の光景を想い出して詠んだ一句です。
雪嶺や 学童の列 真っ直ぐに

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