老木の嘆き 冬(エッセイ)

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老木

先日、町内を流れる黒川の河川敷へ双眼鏡を持って出掛けてみた。
ここは、数年前にヤマセミを見つけた場所で、切り立った土手に巣を作っていたようだ。
目を凝らして見ていると、土手の穴から顔を出し川面に突き出た枯れ木に止まって、浅瀬にいる魚を狙っているようだった。
その素早い行動には私の目を釘付けにした想い出がある。
頭の羽根を逆立たせた様な精悍な姿は、まるで狙撃主だ。
しかし、今は台風で川の流れも変わり、巣を作っていた土手も崩れてしまったようだ。
夕刻まで川面を眺めていたがその姿を見つけることは出来なかった。
そして、遠くを見ると雑木林を赤く染め始めた西日がキラキラと川面を眩しく包んでいました。

老木の嘆き
初冬の夕刻、故郷の川岸に立ってみた。
川岸には、枝を落とした八重の老木が数本立っている。
昔、春には八重桜が爛漫と桜のトンネルを作っていた。
しかし、今はその面影はなく枯れ始めた老木が数本ひっそりと立っている。
土手の向こうには、川面を赤く染めた川が夕日を浴びてとうとうと流れている。
その奥の方には、荒れて浅くなってしまった昔の泳ぎ場がススキを透してキラキラと光っている。
向こう岸に広がっている雑木林は、赤や黄色の錦を着飾り、山の端に沈む夕日のスポットライトを浴び、まるで雑木林全体が燃えているかのようだ。
しかし、山々の峰には送電線の鉄塔が何本となく立っていた。
それはまるで、故郷の山の峰々を占領したかのように手を繋ぎあって立っている。
そして、垂れ下がった数本の電線が夕日の逆光に鈍い光を放っていた。
その下には、山肌が削り取られ、芝生の"バンソウコウ"を貼り付けられたような山肌が痛ましく見えている。
これも、豊かなる文明への代償なのだろうか。
子供の頃、同じ川岸で胸に写したあの故郷の景色は何処へ行ってしまったのだろうか。

「カサ、カサ、カサ」
ふと見ると、八重の老木の梢に今にも落ちそうな数枚の葉が風に鳴いている。
その音は、まるでそれらを嘆き悲しんでいるかのように聞こえる。
(冬の雑木林より 2004年 記)

懐かしいエッセイ 老木の春 故郷の同じ場所の春の想い出です。

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