半世紀(冬)

2000年師走。
20世紀もあと残すところ数日。新世紀を迎えるための大掃除。
別に新世紀まで持ち出す必要はないのだが。

掃除も一段落、私はし終えたばかりの部屋でコタツやぐらに座り込みコ-ヒ-を飲みながらテレビを何気なく見ていた。
NHKBS"世紀の映像"で朝鮮戦争の映像を流していた。
朝鮮戦争は1950年(昭和25年)6月に勃発した。
それは丁度、私がこの世に生を受けた年でもあった。

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※「天使のはしご」撮影地 塩谷町(昭和46年)

昭和25年10月27日。
母や兄から聞いた話では、出産を控えた母の様態は良くなかったそうであった。
兄が隣町の医者を呼びに行き、いろいろと手を尽くしては見たものの手遅れであったそうでした。

父や兄、泣きじゃくる姉達の見守る中、母は静かに息をひきとったそうです。
このとき私は母のおなかの中にいたそうです。
そして親戚中の人たちが集まり、母を北枕にして葬儀の打ち合わせをしていたそうです。

父はこのとき、残された兄姉達の行く末を嘆き悲しんでいたと思います。
ところが、北枕にしたはずの母が突然うなり始めたそうです。
びっくりして、父達が駆け寄り母を大きな声で呼んだそうです。

すると、奇跡的にも母は蘇ったそうです。
そうして母も私もこの世に生を受けたのです。
そのとき、母があの世に召されていたならば今の私は存在しておりませんでした。

後でその時の事を母に聞いたのですが、生死を彷徨って居る時の事。
ものすごく気持ちがいいそうです。
綺麗なお花畑があり、その向こうで死んだおばあさんが母を呼んでいるそうです。

おばあさんの所へ行こうとすると、こちら側で父の呼ぶ声が聞こえてくるそうです。
ここが生死の境目なのでしょう。
やはり母は父のほうに惹かれたのでしょうね。

おばあさんの所へ行っていれば、今の私は在りませんでしたから。
やはり愛は強かったのですね。
よく臨終間際に大きな声で呼びかけると生き返ると言うのはこの事なのでしょうね。

生を受けるって本当にありがたい事ですね。
その父も母もすでにこの世にはいない。
それからもう半世紀。

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「もう終わったの。」
隣の部屋から妻の声がする。