お正月(冬)

元旦。
世紀末の新しい年明け。
また、母の百ヶ日法要の日でもあった。

いつもの年なら、朝から家族で新年を祝い神社に初詣るのだが。
今年は喪中なので祝い事を控え、外の賑わいをよそに何もせずにただ"ボォ-ッ"として炬燵の中で酒ばかり飲んでいた。

七草も過ぎ今日は十日である。朝から何もすることがなくしかたなく部屋の掃除をした。
一段落して、炬燵に入りコ-ヒ-を飲みながら"ボヶ-ッ"として外を見る。
庭の白モクレンの梢には綿毛を被った蕾が大きく膨らみ始めた。

その下では小学生が数人はしゃぎながら遊んでいる。
多分お年玉で何を買ったのかを話しているのだろう。
その光景を見ながら、幼い頃のお正月を思い出す。

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「みかん何個もらえるべ!」
「三個ぐれえじゃねえか!」
「ほだんべなぁ、そのくれぇだんべぇ。楽しみだな!」

登校日、学校へ行って年の初めを歌い、正月のお祝いに"みかん"をもらってくるのである。
その当時は"みかん"がかなり高価であるため、めったに口には出来なかった。
今の様に段ボ-ル箱詰めではなく、杉板の化粧箱に品良く収められていた。

その"みかん"を家まで大事に持って帰り分け合って食べた、今ほど甘くなかったような気憶がする。
冬休みが終わり、二月中旬になると待ちに待った本当のお正月がやって来た。
旧の正月である。(陰暦)二日前頃から正月の準備で忙しく、村中があわただしくなる。

父は門飾り、これは木戸に杭を打ち松と竹を縄で縛って両側に飾り、また"しめ飾り"は家々によってそこの主が藁を編んで作り、玄関と神棚に飾りつけた。
午後になると、家族総出で餅つきである。

母は"へっつい"(かまど)でもち米を蒸かし、父が欅作りの臼でつきあげた。その頃は二斗ぐらいついた。
臼に入れたばかりの蒸かしたての"アッアッ"のもち米は一番うまかった。父によく叱られた。
つきあがるたびに、母と姉たちがお供え餅やのし餅にしていく。

夕方になると、最後についた餅をきな粉餅、大根おろし餅にし乾麺を茹でてそれに鰹節と醤油をかけただけの"あっあっ"の"にゅうめん"食べた。
元日、父と母は朝早く起きて正月祝いの用意である。

おぞう煮、キンピラ、煮つけ、"さがんぼ"の煮こごりで、今のおせち料理には程遠かった。
しかし当時としては大変なご馳走であった。何しろ正月にしか食べられなかったからである。
父は門松にぞう煮を供え、神棚にも酒を供えて拍手を打ち新年の挨拶をしていた。

だだそれだけの正月であった。

今の様に豪華なおせち料理を食べるわけでもなし、お年玉を貰うわけでもなかった。
かなりゆっくりと時間が過ぎて行ったように思える。そうでなければその頃の出来事をひとつ、ひとつ覚えていなかったのではないだろうか。

もう、おぼろげになってしまったが年末になると思い出すことがある。
小学生であるから学習雑誌を取っていた。その中に馬場のぼる先生の書いた「たらふくまんま」と云う漫画(たぶん?)があった。
筋書きはハッキリ覚えていないが、主人公の「たらふくまんま」が山から出てきて良いことをしたお礼に腹いっぱいのご馳走を食べさせてもらう筋書きだったと思う。

なぜかしらいつもこの時期に思い出すのである。狭い炬燵にねっころばって餅を食いながらその漫画を見ている光景である。
多分その当時は食べるものも少なかったからであろう。


冷めたコ-ヒ-を手にしながら外に目をやる。
北風が「ヒュ-」と日溜りの落ち葉を巻き上げて去っていった。