年を重ねたせいか、寒い夜は夜具の中に湯たんぽを忍ばせている。
数年前までは、電気毛布や電気あんかで温めていたが喉が渇いてしまい何故か体に合わないようだ。

昔懐かしい湯たんぽに替えてからは、柔らかな温もりからか寝苦しさを覚えることもなくなった。
子供の頃、母がブリキで出来た湯たんぽにヤカンで沸かした湯を入れ、ボロ布に包んで寝床に入れてくれた。

山間の村の冬は隙間風が吹き込んで本当に寒い。
父は、あまりの寒さに手拭いで頬被りをして寝ていた記憶がある。

今でも、湯たんぽに湯を注ぐあのポコポコという音が懐かしく聞こえる。
冬になると決まって雪の降る夜の懐かしい光景が夢の中に登場する。

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私の父は材木商として兄と共に近隣の山の立ち木を買って原木を市場などに卸していた。
庭の前にはトラックとジープが置いてあり山などを往復して仕事をしていた。

私も、高校を卒業する頃このトラックを乗り出しては運転の練習をしていた覚えがある。
左側に見えるのがそのトラックで2.5tの三菱ジュピターだったと思う。

家の前には街灯がありその奥には建設会社の資材置き場があった。
子供の頃は、資材置き場が近所の子供らの遊び場で叱られながらも資材の中を駆け回っていた。

学校から帰ると誰もいないので積み上げられた資材の中に潜ったりして恰好の遊び場だった。
遊び疲れて家に帰るころには手・顔・服は埃に塗れ母に良く叱られたものだ。

学校から帰ると決まって火の見櫓の拡声器から集合の知らせが流れてくる。
集合場所の火の見櫓の下には消防小屋があり、赤い電球の下で何して遊ぶかの相談である。

周囲の山々が赤く染まる晩秋になると雪虫も飛び始め冬の訪れを伝えてくれる。
この頃になると母が綿入れ半纏を出してくれるが袖で鼻を拭くので何時も鼻汁でカペカペ。

正月が終わると寒さも厳しくなり雪も降り始め、降り積もった雪の翌朝は銀世界に変わる。
野山は雪で覆われ、竹林に積もった雪の重さで竹は路面までしなり道路を塞いでしまう。

日が高くなるにつれて急こう配のカヤ葺屋根に積もった雪がドドドと音を立てて崩れ落ちる。
父は手拭いで頬被りして薪を割り、母は台所のへっついで湯を沸かしている。

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冷たくなった足で温い湯たんぽを足元に寄せ、うつらうつらと幼いころの夢を走馬灯のように楽しんでいる。
まるで、私の大好きな日本画家 谷内六郎の世界だ。
明日の夜も昔懐かしい想い出を温みの中で楽しませてくれるだろうか。