挨拶(冬)

初冬のある日曜日の午後。
気分転換に、いつものお気に入りの雑木林へ。

枯れ葉の絨毯が敷かれている小径に入ると、木々の隙間からは初冬のやわらかい光が射し込んでいる。
時折、梢を渡る風にクヌギの枯れ葉が数枚「はらはら」と私の肩に舞い降りる。

私は枯れ葉の絨毯の中を、物思いにふけながら踏みしめる。
初老の夫婦がすれ違いながら笑顔であいさつをする。

「こんにちは」
「・・・・・・・」
私は黙って、目だけであいさつを交わした。

私は、老夫婦が怪訝そうな顔をして振り向いたのを、背中に感じた。
私とすれ違う人たちは、老夫婦のようにはつらつとしていた。
「憂いなどないのだろうか?」

私だけが、「憂い」を背負って生きているような感じさえする。
しかし、誰しもが楽しい事ばかり、あろうはずがない。
「憂い」があれば「歓喜」があり、「苦」があれば「楽」がある。

この世の中、生きるもの全てが「喜怒哀楽」の繰り返しなのである。
だからこそ、人生に面白みが有るのではないだろうか。
憂いている時は、大いに憂い悩んで、悩み抜けばきっと、その次には楽しいことが待っているのである。
悩みから逃避してはならないのである。

楽しいときには、大いに楽しみ抜き、次にやって来るであろう「憂い」に心を備えていればよいのではないだろうか。
私の好きな「道元禅師」の教えに
「随処に主なれば、立処みな真なり」(臨済録)
という言葉がある。

<いつどこでも、自分のいる所、置かれている所で精一杯やればいいそこから真の生き甲斐が生まれてくる。>
<人生は何度でもやり直すことが出来る。やり直しがきかないというのは、今日の自分も、明日の自分も同じ自分だと考えるからだ。

今日は今日、精一杯に生きる。明日のことなど今考える必要はない。
今、この瞬間の可能性を生きればそれでいいのだ。>

・・・・・・・・・・・

「こんにちは」
すれ違いざまに挨拶された。
私も振り向いて明るく挨拶を返した。