2017年6月アーカイブ
栃木県栃木市吹上町にある下野三十三観音霊場第二十三番札所 伊吹山善応寺です。
善応寺は、栃木市内から北西に3kmほど行った赤津川のほとりにあります。
近くには栃木市立の吹上小学校と吹上中学校がありその中間地点に鎮座しています。
赤津川脇に車を置き石段を登ると境内の中央に観音堂があります。
拝殿から格子窓を覗くと祭壇がありその奥に厨子がありました。
ここにご本尊の聖観世音菩薩像が置かれているのでしょうか。
善応寺は、日光開山の祖勝道上人が開基されたと伝えられています。
現在の観音堂は江戸時代初期に建立されたと伝えられています。
善応寺の宗派は、新義真言宗。
ご本尊は、聖観世音菩薩。
※ 新義真言宗では加持身説法(大日如来が説法のため加持身となって教えを説くとする説)を説くことが教義上の教えである。
拝殿周辺の彫り物は白木造りの立派な彫刻を見ることが出来ます。
伊吹山は「美濃と近江との境なる山にあらず下野なり」と記しているように東国の歌枕として知られ平安時代以降多くの歌人に詠まれてきた名所です。江戸時代特にここに自生する七葉の艾(よもぎ)をもって製した「もぐさ」は薬効があるとされていました。(下右写真)
下は、境内脇の石仏と石碑。
右は、伊吹山善応寺の御朱印です。
※ 御朱印は赤津川橋脇にある渡辺電気設計様で頂くことが出来ます。
伊吹山善応寺の動画をYouTubeで作って見ました。
※ 動画の設定で画質を1080pにすると見やすくなります。
伊吹山善応寺
栃木県栃木市吹上町
福島県福島市土湯温泉の聖徳太子堂に参拝して来ました。
土湯温泉協会でパンフレットを頂き、温泉街の荒川沿いに歩いて行くと左手の山際に見えてきます。
石段を登っていくと聖徳太子堂があります。
鐘楼を左手に見ながら奥へ進むと聖徳太子堂があります。
聖徳太子堂は、江戸時代末期(1726年)に再建され、安産、育児、学問、建築職人の守護神として崇められています。
旧暦の1月21日には聖徳太子ゆかりの「太子講」が行われます。
太子堂には、何十年かに一度しか開帳されない秘仏として太子16歳の木造の聖徳太子立像が祀られています。
聖徳太子堂で参拝し、左手の石段を登ると薬師こけし堂があります。
土湯こけしは、遠刈田、鳴子と並ぶ三大こけし発祥地と言われています。
薬師こけし堂は、温泉の守護仏・薬師瑠璃光如来とこけし工人の祖・惟高親王を祀っています。
現在のこけし堂は、昭和49年(1974年)に再建されました。
こけし堂脇には渡辺治右衛門が奉納した算額の案内板があります。
※ 算額(さんがく)とは江戸時代の日本で額や絵馬に和算の問題や解法を記して神社や仏閣に奉納したものである。(Wikipediaより)
下は、境内の奥にある松根油釜の由来の案内板。
※ 松根油(Wikipediaより)
聖徳太子堂
福島県福島市土湯温泉上ノ町
土湯温泉観光協会 オフィシャルサイト
栃木県芳賀郡市貝町にある下野三十三観音霊場第十四番札所 三光山 慈眼寺です。
三光山慈眼寺は、市貝町のほぼ中央県道338号線沿いにあります。
県道から入ると境内まで桜の老木が数本あります。
参道の正面には観音堂、その脇には薬師堂があります。
慈眼寺の宗派は、真言宗豊山派。
ご本尊は、十一面観世音菩薩です。
京仏師春日の鎌倉期の作と伝えられています。
住職の話では、開山は今から800年ほど前だそうです。
上は、観音堂の拝殿。
下は、薬師堂。
下左は、境内から見た薬師堂です。
下は、弘法大師を祀った石像かな?
下は、鐘楼でその脇にはかなりの樹齢のイチョウがあります。
上と下は、慈眼寺の本堂。右は、六地蔵です。
栃木県は雷の産地で、境内には雷神社が祀られていました。(下左)
下左は、ご本尊の十一面観世音菩薩像の案内板。
下右は、慈眼寺で頂いた御朱印です。
三光山 慈眼寺
栃木県芳賀郡市貝町赤羽2725
TEL 0285-68-0600
栃木県芳賀郡市貝町にある下野三十三観音霊場第十二番札所 大慈山 永徳寺です。
永徳寺は、市貝町の東方の観音山にあります。
観音山には村上城址があり、太い桜並木の奥には永徳寺への石段が続いています。
石段を登り切ると大きな観音堂が目を遮るように建っています。
下右は、境内の右手にある手水舎。
観音堂は昔、飛騨の匠によって作られ、現在の堂宇は慶長十年(1605年)に造作された総ケヤキ造り。
威圧するような白木造りの堂宇は、彫刻も素晴らしく風雪に耐えた歴史が深く感じ取れます。
永徳寺は弘仁六年(815年)に開山された寺です。
宗派は真言宗。
ご本尊は千手観音菩薩でお前立は鎌倉時代の作とされています。
下左は、拝殿の正面。下右は観音堂の案内版。
下左は、社務所で無住です。
御朱印は、檀徒代表の永山昭市様宅で頂くことが出来ます。(下右)
今回、御朱印を頂に行ったのですが不在のため頂くことが出来ませんでした。
下は、境内奥にある村上城址への入り口です。
下は、境内に建つ慈母観音像。
下は、永徳寺への道筋にあった堂宇。
永徳寺
栃木県芳賀郡市貝町市塙3501
栃木県日光市今市にある下野三十三観音霊場第四番札所 星顕山 如来寺です。
如来寺は、東武日光線下今市駅から西へ歩いて10分程の街中です。
山門を潜ると広い境内の左手には観音堂、右手には鐘楼があります。
星顕山光明院如来寺は、室町時代の中期に金蓮社暁譽最勝大和尚により開かれました。
宗派は浄土宗、山号は星顕山、院号は光明院。
ご本尊は阿弥陀如来です。
本堂を見学させて頂きましたが素晴らしい彫刻には目を見張ってしまいました。
本堂は再建されたそうですが本堂内の梁や丸柱などはそのまま残して建てられたそうです。
本堂の脇座には徳川将軍家位牌所として家康公から12代将軍徳川家慶公の位牌が祀られています。(下右写真)
中央は、寛永18年(1641年)に建立された鐘楼。
右は、地蔵堂で車止め地蔵尊が祀られています。
聖観世音菩薩像が安置されている観音堂。
聖観世音菩薩像は聖徳太子の作と伝えられているそうです。
毎年5月の花まつり(灌仏会)で開帳され百万遍講という念仏講も行われるそうです。
下右の写真は、如来寺の前にある弁天堂で今市宿七福神の弁財天を祀っています。
下右は、地蔵堂と車止め地蔵尊の案内版。
下は、如来寺を開山した暁譽上人のお墓です。
暁譽上人は、常陸国(茨城県)瓜連の浄土宗常福寺第4世超譽上人の 高弟で、文明10年(1478年)諸国を行脚して今市に来ました。
如来寺を創建し38年間布教し、永正13年この地に没しています。
ここからは、遠く高原山や那須連峰を望むことが出来ます。
下左は、暁譽上人の墓の案内版。
下右は、如来寺で頂いた御朱印です。
如来寺 オフィシャルサイト
栃木県日光市今市710
TEL 0288-21-0105
閑話休題
如来寺は私の父の実家の菩提寺で、法事などがある度に何度も訪れた事のあるお寺です。
今までは写真を撮る機会がなく、今回はじっくりと境内内の写真を撮らせていただきました。
写真を撮りながら十数年前に亡くなったおじが菩提寺である如来寺で樋山家の由来を聞いた事などを私に語った当時を想い出させてくれました。
今度、行った時には歴史に熱心だったおじの話でも聞こうと思っています。
以前、樋山家に伝わる木造の仏像についておじが調べた樋山家の歴史をブログに載せたことがあります。
樋山家の宝
風のつぶやき!
如来寺の墓地からは試運転中で8月から運行予定のSL大樹の雄姿を見ることが出来ました。