今回は栃木県日光市の東照温泉を紹介します。
ここは、日光市今市から塩谷町船生へ抜ける日光北街道の途中の大渡地区にあります。
大渡地区は、昔、日光北街道で鬼怒川を渡る手前の宿場町として栄えた所で、東照温泉は300年前その宿場町に「旅籠福田屋」として創業した歴史があります。(1700年前後頃かな?)
現在、日光北街道は県道461号となって矢板市から大田原を通って茨城県の大子へ続いています。
そんな歴史ある東照温泉に入ってきました。
泉質は、アルカリ性単純温泉。源泉掛け流しで循環はしていません。
効能は、神経痛、筋肉痛、関節痛など。 口に含むとちょっぴり硫黄の臭いがする無色透明の温泉でした。
程好い湯加減の内風呂と露天風呂の広さには大満足。
上左は、内湯。左手に露天風呂があります。 右は、ボイラーでしょうか?
下は、温泉の成分表です。
下は、東照温泉のパンフレット。
毎年、冬至の日には数千個のゆずが露天風呂を埋め尽くす(ちょっと大袈裟?)そうですよ。
今年の冬至は22日、日曜日ですね、早速行ってみようかな。
閑話休題。
日光北街道は、"奥の細道"紀行で松尾芭蕉と曾良が日光から黒羽を目指して通った街道。
芭蕉たちは裏見の瀧、憾満ヶ淵を見てから玉生へと向かうのであるが、「曾良随行日記」に五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左へノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村ヘカヽリ、大渡リト云馬次ニ至ル。 と、あるように日光市宝殿の志渡淵川に掛かる筋違橋から北に向かって大谷川を渡り、現在の所野から瀬尾に抜け、倉ケ崎・上川室そして下川室から大渡へと抜けたという。
この大谷川を渡った所から瀬尾へ抜ける道は奥州古道と呼ばれ、日光市の稲荷川橋より大谷川に沿って瀬尾まで続いていたという。(奥の細道in栃木より抜粋)
一行は、1689年(元禄2年)4月1日、日光を参詣して翌4月2日に矢板を目指した。
行程は、日光市から日光北街道からは外れて瀬尾から川室を経て大渡に至った。
地図から判断すると途中から日光北街道に入り旅籠福田屋の前を通っているのではないだろうか。 果たして松尾芭蕉が曾良と共に通った元禄2年(1689年)当時、旅籠福田屋の前身はどの様な存在だったのだろうか。
下は、曾良が奥の細道で書き留めた曾良随行日記から抜粋したもの。
曾良随行日記
一 同二日 天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧(一リ程西北)、カンマンガ淵見巡、漸ク及午。鉢石ヲ立、奈須・太田原ヘ趣、常ニハ今市へ戻リテ大渡リト云所ヘカヽルト云ドモ、五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左へノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村ヘカヽリ、大渡リト云馬次ニ至ル。三リニ少シ遠シ。 〇今市ヨリ大渡ヘ弐リ余。 〇大渡ヨリ船入(船生)ヘ壱リ半ト云ドモ壱里程有。絹川(鬼怒川)ヲカリ(仮)橋有。大形ハ船渡し。 〇船入ヨリ玉入(玉生)ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強。漸ク玉入ヘ着。
"奥の細道"については、以前、私が栃木県内を取材した"奥の細道in栃木"が公開してあります。
こちらもご覧ください。
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